インド旅行記前編8

 その後も私の体調は思わしくなかった。いや、徐々に悪化していった。やっとの事で辿り着いたインドとネパールの国境。国境を超えるとガラリと変わった事がある。今は解らないが、当時のネパールはインドに比べ圧倒的に西洋文化流入していた。土産物屋に並ぶ久々に見るペプシコーラやマドンナのポスターに熱狂した。(当時のインドではあり得なかった。)

 しかし国境からカトマンズの道は険しかった。未舗装の路肩も甘い峠道をオンボロバスが疾走する。ド派手なデコトラと擦れ違う度寿命が縮まる想いがした。木の板が張られた床には穴が空き、地面が丸見えだ。

 そんなこんなで腹を押さえながら漸くカトマンズに辿り着いた。カトマンズに到着して私が真っ先に探したのは当然薬屋だ。そこで私は「酷い下痢をしている。強い薬が欲しい。」と頼みそれを手に入れると宿えらびもそこそこに宿を決めて、ベッドに倒れ込み一息ついて、ミネラルウォーターで買ったばかりの薬を胃に流し込んだ。

 効果はテキメンだった。…悪い意味で…。

 まるで土曜サスペンス劇場の嘘臭い演技そのものだった。薬を飲み込んだ瞬間、激しい胸焼けが私を襲い、共同のトイレに向かう暇も与えられず私はベッドの横にある洗面台に向かって込み上げてきたものをブチ撒けた。

 それは赤黒い液体だった。つまり私は吐血したのだ。私は薬局で「強い薬を」と頼んだ。それがいけなかったのだ。日本とネパールでは衛生環境が大きく違う。細菌にまみれ、それに適応したネパール人でさえお腹を壊した時服用する強い薬を、まるで無菌室で育ったかの様な衛生環境に育つ日本人が、更に弱った状態でネパールの強い薬を飲んでしまったのだ。弱ったか弱い私の胃が耐えられなかったのも当然だったのかもしれない。

 見ず知らずの初めて訪れるこの国で、私はどうなってしまうのか?不安に押し潰されそうになりながら、でも今やれる事をするしかない。取り合えず今夜は寝よう。

 翌朝、私は宿の支配人の勧めでジェネラル・ホスピタルに向かった。海外で医者にかかるなんて初めての事で、私はどうすれば良いのか解らず「エマージェンシー!」と叫ぶと看護婦だろうか?私は一室に通された。

 そこで私はちょっと後悔した。そこには大怪我を負った人々が沢山いた。血を吐いたくらいでエマージェンシーは大袈裟に感じたのだ。そんな私をお医者様は優しく扱ってくれた。しかし驚いた事がある。お医者様は私に服を捲れと言う事も無く、ただ私の片腕を出す様に言うと私の手首を掴み、何ヵ所もの脈だけを測るのだった。(まるで北斗神拳のトキかと思った!)

 そして彼は答えた。私が平熱である事。私が感染症の類いでは無い事。私がただの水当たりか食当たりである事。そしてスラスラと処方箋を書き、私はそこでネパール版ポカリスエットの粉末と幾つかの錠剤を買った。私が想像していた入院は愚か、注射や点滴すら無く、脈だけで何が解るんだ?と私は半信半疑で病院を後にした。しかし勝手の解らなかった私は診察代を払った記憶が無い。

 西洋医学が行き渡った現代の日本の医学しか知らない私にとって、東洋医学で太鼓判を押され、処方を受けたとしても、まるで狐に騙されたかの様な心境だった。西洋医学的に注射や点滴をしてくれた方が私の気持ちは楽になったのかもしれない。しかしその後私は吐血した事が嘘の様に体調が復活したのだ。我々は自ら知識を持ち、経験した事柄で無いと、それを不安に感じ、信用しきれない部分が多い。今回の私も同様だったが、それは私の心配を他所に、新たな経験として東洋医学の真髄を見せていただけたと思う。

 西洋医学は体内に入ってきたウイルスを薬を以て迎撃するスタイルだ。それに対し東洋医学は体調を整える事をサポートし、自らの力で病気に打ち勝つ。薬の副作用でやられてしまっていた私にとって、東洋医学は最適な手段だったのかもしれない。それにしても不本意ながら診察料を払い忘れてしまった事は私の大いなる汚点だ。いつかカトマンズを訪れる事が出来たなら、真っ先に忘れていた診察代を私はジェネラル・ホスピタルに払いに行かねばならないと感じている。