インド旅行記前編4

 翌朝私はバラナシの街の散策を始めた。人、人、人、牛、牛、牛、行き倒れ、行き倒れ、行き倒れ。強烈な動物臭、それを打ち消すべく人々の強烈な香水の香り、原色のサリー。旅人を見つけるや否や「バクシーシ!」と行き倒れの腕が足首を掴まんがばかりに伸びてくる。そんな中を私は夢遊病の様に彷徨った。

 酒の酔いは醒めたが、この街の雰囲気そのものに私は酔った。これははたまた現実なのか?いや、酒の酔いなど可愛らしいものだ。強烈な匂い、サリーの原色、飛び交う罵声、五感全てがヴィヴィッド過ぎて、まるでLSD。世界そのものがサイケテリックだ。しかしここはヒンズー教の最大の聖地。しかししかしその聖地は今だかつて感じたことも無いほどの俗物に満ちていた。

 私は寺院に入った。すると子供がワラワラ群がってきて、一人は私が脱いだ靴を靴箱に入れた。一人は頼みもしないのに私の額にインド人がする様な赤い呪いを塗った。そしてもう一人は寺院の説明を勝手に始める。私が拝観を終わり寺を出ようとすると、彼等は口々に言う。

「僕は靴を片付けたから1ドル、僕は呪いを塗ったから1ドル、俺は説明したから…。」 

 日本とインドの物価は違う。こんな些細な事で1ドルとは暴利にも程がある。私はシカメ面で1ドルを取り出す。一斉に群がる子供達。

「違う!全部で1ドルだ。不満か?なら全て無しだ。イエスorノー?」

 子供達がああだこうだ騒ぎ始めた。しかしその中で聡明そうなリーダー格が仲間達を静めた。此処で一悶着して話をパーにするくらいなら1ドルを手に入れた方が賢明であると言う事。彼の鶴の一声で場が纏まった。

 私はそんな懸命な少年にもう1ドルを渡して彼をガイドに雇う事にした。それは賢明な判断だった。彼は行く先々で同じ手口の子供達を排除し私をガイドしてくれる。最後に私が向かったのはマクニカル・ガート、即ち火葬場だ。

 ヴァラナシはヒンズー教徒最大の聖地。信者は死んでガンジス川に流されるべくこの街を目指し旅を続ける。だからこそこの街に行き倒れが蔓延している。この街に辿り着いた信者は自らの死を待ち、死すればこのガートで焼かれガンジス川に流される。

 最初は興味本意そのものだった。しかし甘い独特の死臭の中、焼かれた遺体が発する煙が天に向かって棚引いていく。そんな光景を眺めていると不思議と神聖なる気持ちになる。我々は死すれば機械で焼かれ壺に入れられ挙げ句の果てに墓石の奥底に封じ込められる。

 しかし此処の人々の遺体は川に流され自然に還り、魂は煙と共に天に昇っていく。どっちが正しいのか?どっちが幸せなのか?いつしか私の価値観は、死生感は、大きく揺さぶられていた。