シルクロードを西へ!コーカサス編アルメニア・エレバン及びその郊外1

 ナゴルノ・カラバフを後にした。ナゴルノ・カラバフ、ゴリス周辺の山間部は相変わらずの曇天と言うより状況は更に悪化して濃霧で一寸先も見えない様な地域もあった。 
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 しかし山間部から下れば今までの曇天がまるで嘘の様に晴れ渡った。途中往きと同じ場所で休憩を取った。ナゴルノ・カラバフの若者のカップルと一緒に遅めの朝食を摂った。私がシューシへ行った事を知ると「アンブレラ・フォールズへ行ったか?」と尋ねられた。アンブレラ・フォールズとは傘の様な岩の上から滝が降り注ぎ、名前の如く雨中の傘の様な滝の名所だ。残念ながら廃墟に夢中でそこまでは時間が割けず見逃してしまった。しかし廃墟に夢中になっていたとは彼等に言い出し難くしどろもどろな展開になってしまった。
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 そんなこんなで私は再びアルメニアの首都エレバンへ戻ってきた。エレバンの中央バスターミナルに戻れば、早速次の目的地エチミアジンと連呼するマルシュルートカを発見した。どうやら後一人集まれば出発の様だ。本当はバスターミナルで一服したかったのだが、仕方なくマルシュルートカに飛び乗った。
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 エチミアジン大聖堂アルメニア使徒教会の総本山であると同時に世界最古の教会とも言われている。現在は長きに渡る修復工事中で外観は全貌を見張らす事が出来ない。内装も修復工事が施されている為、綺麗ではあるが、世界最古と言われる時間の経過も新しい装飾に塗り込められてしまっている感が拭えない。
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 しかし、私がこの聖堂で見たかったものは建築そのものでは無く、その宝物殿に納められている二つのお宝だ。先ずはノアの方舟の木片と信じられているもの。此処からノアの方舟が到着したと伝えられているアララト山はすぐそこなので信憑性は…?
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 そしてもう一つは…ATフィールドを突破する力があると言われた…モトイ!かのイエス・キリストの最期を看取った槍、即ちロンギヌスの槍の穂先だと伝えられているものだ。(此方には他にも複数それを名乗る槍が存在する。)
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 こうしたお宝の伝承は、国内外に複数存在し、いつでもその信憑性の問題が挙がるが、私はその信憑性云々より、この地域の人々がそれを本物だと信じてきた信仰心に驚きを感じると共に、どうしてそれが本物だと伝えられてきたかを掘り下げる事により、真実に近づく道筋があるのではないかと、今後の研究に期待を感じる。特にロンギヌスの槍は以前エルサレムでイエスの足跡を辿っただけに感慨深いものがあった。
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 さてエレバンから郊外のエチミアジンに至る道中には他にも二つの教会の見所がある。マルシュルートカで途中下車を繰り返せば良いものの、待てない私は徒歩にて二つとも訪れてしまった。先ず最初は聖リプシメ教会。聖女リプシメは未だキリスト教を国教としていない時代のローマ皇帝の求婚を拒み、この地方に逃れてきたが、その美貌が災いして当時未だキリスト教を信じていなかった時のアルメニアの王トゥルダット3世に再び求婚を迫られてしまう。しかし信仰を貫きそれを拒んだリプシメはトゥルダット3世に殺されてしまう。この王の名は以降再び登場するので覚えておいて欲しいが、とあるきっかけでキリスト教を信仰する事となった王が、自らの行いを恥じ、リプシメの為に建てた教会こそがこの教会と言う事だ。
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 彼女の墓は教会の地下に今でも残されているのだが、私が撮影した時は確実に地下には私一人しかいなかったのだが、写真を見れば右奥に黒衣を纏った神父様の様な人影が!冷静に見れば右奥の窪みと其処に飾られた花?や染みにより人影に見える様だが、教会の地下室、更に殺された聖女の墓所と言う事も加わり、初見トゥルダット3世の亡霊を写してしまったのではないかと冷や汗を流した。
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 続いて訪れたのはスバルノドッツ教会跡。まるでギリシャやローマ遺跡の様な姿だが、教会の骨格が残されてこの様な姿になっている。付属している博物館には当時の再現模型も残されており、エチミアジンにも負けない壮大な教会だった事が伺えた。
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 それ以降は素直にマルシュルートカを拾いエレバンまで戻った。エレバン市内に到着して驚いたのは想像以上にモダンな街だと言う事。エレバンの歴史は古いが、現在のエレバンは計画され造られた計画都市でもあり、バクーやトビリシの様な旧市街は無い。街はこの地方で産出される赤みを帯びた岩で築かれているので、街が薔薇色に統一されているかの様に写る。そんなエレバンは初見非常にソリッドに写り、取っつきにくさを覚えた程だ。
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 先ず始めに向かったのはカスケード。巨大な階段が設けられており、その頂上からはエレバンを一望出来る上、更には晴れていればアルメニアの心、アララト山が背景に座る。
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 空気の澱む夏場の夕方では拝む事は難しい。カスケードの真下からは一本の大きな歩道が延び、オペラ座を越しそのままエレバンの銀座とも言える目抜通りとなっており、その先にはもうひとつのエレバンの中心、共和国広場へと繋がっている。
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 散策がてら私はエレバンに唯一残るモスクを訪れた。イラン様式で建てられたモスクだが、ナゴルノ・カラバフ紛争以降アルメニアからはモスリムは去ってしまったので今では機能していないと言う。もうひとつ、エレバン近郊のキリスト教の大聖堂、聖グレゴリウス・ルサヴォリッチ大聖堂に辿り着く頃には遅いコーカサスの太陽も沈み始めた。
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 さてコーカサス、残すところも後一日。見たい場所はホルヴィラップ修道院、ゲガルド修道院、ガルニ神殿、セヴァン修道院なのだが、公共交通機関を使って一日で上記を巡る事は先ず不可能、共和国広場でツアーを募集している旅行会社も当たってみたが全部を網羅するものが見つからず、結局タクシーをチャーターするしか方法は無さそう。しかしアルメニアはタクシー料金は安い。水害で押している日程上、こんな時こそタクシーを使っても良いだろうと判断、ただ路上のタクシーはぼったくられる可能性大なのでホテルのフロントに依頼してみた。
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 フロントのアンちゃんは私の話を聞いて「一日でそんなに回るのか?」と口をあんぐりさせたが、それほどの分量では無い筈だ。私が「私には明日一日しか無いんだ。早起きすれば大丈夫だよ!」と答えると、腕を組んだり電話したり…。どうやらタクシーを手配した筈だが、ホテルのスタッフ自身が私を案内してくれる様だ。これなら安心して観光が出来る。ただ、ホテルのスタッフのシフト上、先発リリーフで私の旅をサポートしてくれる事となった。