シルクロードを西へ!コーカサス編ナゴルノ・カラバフ1

 宿の支配人に見送られ私はこの地方を訪れた、もうひとつの目的地へと向かった。其処にはラチン回廊と呼ばれる山道を抜けていく。嘗ては激しい戦場となった場所だ。やがてマルシュルートカはパスポートチェックを行う検問所の前で停まった。此処から先が目指すナゴルノ・カラバフ共和国となる。
 
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 ナゴルノ・カラバフ…聞いた覚えの無い名前だと感じる人も多いと思う。無理も無い、其所は殆どの国が承認していない非認証国家なのだから。当然日本も承認していないから何かあっても勿論領事館は無い。訪れるのは自己責任だ。
 
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 コーカサスは今まで見て来た通り複雑な歴史を経てきており、いざ民族毎に独立が認められたとしても、国境線で綺麗にそれらが振り分けられる程単純な図式では無い。歴史的に此処ナゴルノ・カラバフ地方もアルメニアに属するかアゼルバイジャンに属するかでソビエト統治時代から紛糾を続けてきた。そしてソビエトが崩壊しアルメニアアゼルバイジャンが独立すると、それはぶつかり合いから紛争、そして全面戦争へと発展していった。
 
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 結果的に戦争はアルメニアの勝利に終った。要因は様々あるが、ロシアがアルメニアを裏で支援したのが決定打になったと言えよう。同じキリスト教国として歴史的にロシアとアルメニアは関係が深かった事もあるが、独立以来反ロシアの政策を打ち出しているアゼルバイジャンに一泡吹かせたかったに加え、勝てばアゼルバイジャンの持つ石油の利権に干渉する事が出来る。ジョージア内に存在する非認証国家の成立にもロシアが大きく絡んでいたが、此処もまた然りなのである。
 
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(アルメニア国旗)
 結果、アルメニアは勝利したものの、国際的批判を避ける為占領したナゴルノ・カラバフ地方を自領にする事無く独立させた。それこそがナゴルノ・カラバフ共和国だが、勿論国際社会がそれを認証する訳も無く、国際的にはナゴルノ・カラバフアゼルバイジャン領でありながら、実質的にはアルメニアの傀儡国家であるナゴルノ・カラバフ共和国統治と言う歪んだ体制となっている。紛争は一時休戦となってはいるが、時に衝突が繰り返され、2016年にも一般市民に犠牲者が及ぶ衝突が発生した。
 
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(ナゴルノ・カラバフ国旗)
 アルメニア人は先に述べた通り、多くの国民が国外に流出した。しかし今ではそんな彼等(ディアスポラ)が国外から故国を援助しており、その影響力は驚く程強く、彼等はロビー活動を通し世界の主要国で、トルコでアルメニア人虐殺の歴史を否定してはならない法案等を次々と成立させている。(日本は例外的に未だ見成立)そんな中彼等はアメリカに於いてアゼルバイジャンを支援してはならない法案を可決させたが、其処に思わぬ勢力が異議を申し立てた。ディアスポラの影響力が大きい、もうひとつの民族、アメリカ在住ユダヤ人勢力だ。アゼルバイジャンナチスユダヤ人を虐殺した時代、彼等を匿い、故にその恩義を感じていた彼等は異議を唱えたのだ。
 
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(ナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトの風景)
 更にそれに拍車をかけた要因、それはアゼルバイジャンが持つ石油資源だ。そしてそれを持つアゼルバイジャンは反ロシア、親欧米路線の国、アメリカとしても、これに手を入れれば石油の利権のみならず宿敵ロシアを牽制する意味合いにもなる。こうしてアルメニアに於けるアゼルバイジャンに支援しない法律は撤廃された。
 
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(ナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトの風景)
 この様に我々にとっては未知なる地方に過ぎないコーカサスの国々だが、この小さな地方の紛争がアメリカ国内でディアスポラの二つの巨頭が意見をぶつからせる騒ぎになった。いやそれどころか、アメリカ、ロシアと言う超大国の紛争の火種ともなりかねない地域であるとも言える。
 
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(ナゴルノ・カラバフ領事館)
 さほど待たされる事も無く我々はチェックポイントを通過した。ビザは必要なのだが、街に到着したら領事館に出頭してくれとの事。後付け(入国後)でビザを取得する国なんて初めての体験だが、この事からも、この国がアルメニアの傀儡である事を良く物語っている。普通国境を超える時出国側の国の出国手続きを済ませてから赴く国の入国手続きに入るものだが、此処では入国手続きは済ませたが、アルメニアの出国手続きはしていない。つまりナゴルノ・カラバフには入国したが、アルメニアからは出国していない。もっと言えばナゴルノ・カラバフアルメニア領だと宣言しているのだ。勿論言語もアルメニア語であり、通貨も両替も不要だ。さて非認証国家ナゴルノ・カラバフとは、いったいどんなところなのか?