シルクロードを西へ!コーカサス編アルメニア・ゴリスへ

 一夜開けると素晴らしいサンライズが私を出迎えてくれた。昨晩迄水害に足止めを喰らっていたとは信じられない光景だ。更に窓越しからアルメニアの心の拠り所ともなっているアララト山がくっきりと私を出迎えてくれた。今回の旅の中で一番鮮明に見れた瞬間でもあった。アララト山は富士山と同じ単独峰であり、高さは遥かに富士山を凌ぐ5千メートル級の山だ。写真左手にうっすら見える小アララト山でさえ富士山より高い。日本人が富士山に特別な想いを感じ、信仰の場所となっているのと同様、アルメニア人のアララト山に対する想いは相当のものがある。しかしながら現在アララト山は宿敵でもあるトルコ領、そんな状況が更にアルメニア人のアララト山への想いを深めているのだろう。
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 暫くして列車はほぼ定刻にアルメニアの首都エレバンに到着した。本来エレバンに到着したら、エレバン市内と近郊の観光をしつつ移動の疲れを癒す筈であったが、シャティリで二日ロスを作ってしまった為、その後向かう筈だったアルメニア南部へ直接赴く事に決めた。コーカサス最後となるアルメニアで、地方を訪れ、シャティリの二の舞を喰らったら、最早航空券を買い直す他帰国する手段が無くなるからだ。
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(左にうっすら小アララト山アララト山)
 両替を済ませバス停を近くにいた若者に尋ねると、ついてこいと言う。私はちょっと躊躇した。治安の悪い国だと自分が土地勘が無い事を良い事に、変な場所に連れ込まれる可能性もあるし、アジアやヨーロッパでも、道案内した代わりにチップを請求される事もざらにある。彼は私をエレバンのメトロへと連れていった。どうやら勘違いしたらしいので、バス停だと伝えたものの、彼は最早メトロのトークンを買ってしまっていた。私は申し訳が無いからトークンを買い取ろうとすると、彼はいずれ使うから良いよと言って、バス停まで連れていってくれた。そして私のありがとうを聞き終えるか終えないかのタイミングで手を降って何処かへ消えた。コーカサスは一見武骨でシャイな人が多いが、実は親切な人が多い。
 バス停では運良く団体の客がいた事もあり、私の想像以上にタイミング良く出発した。私は不思議に思う。シャティリの件は確かに不運だった。それにより私は6日でこなそうとしていた旅程を4日でこなす事を強いられている。しかしアルメニアに移動する寝台列車も当日に手配が叶い、想定以上の乗り継ぎの良さでアルメニア南部のゴリスへと向かうマルシュルートカにも乗る事が出来た。旅の神様は未だ私を見捨ててはいない。
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 走り出せばアララト山が右手後方に遠ざかっていく。アルメニアの大地はアゼルバイジャンほどでは無いにしろ、ジョージアよりも渇いた大地だ。道程の半分のところで小休止を挟むとマルシュルートカは山道を登り始めた。その頃から快晴だった空はどんよりとした雲に覆われてしまった。この山が雲を阻む事でアルメニアの大地が乾燥したものになっているのか。結局この地方では私は青空を拝む事ができなかった。
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 エレバンを出て約6時間、漸く私は目指す街アルメニア南部のゴリスに到着した。昨日ジョージア北部の山を越したらチェチェン共和国と言うシャティリ村にいた筈なのに、今と言えば少し東に走れば其処はもうイランの国境と言う位置にいる。我ながらたいした移動をこなしたものだと思う。到着したゴリスは石造りの重厚な作りの家並みが広がっていた。石の文化圏に突入した事を改めて実感するが、アルメニアは中でも石が豊富に採れる国、その中でもゴリスは奇岩が立ち並ぶ光景が見所となっており、旅人の間ではアルメニアカッパドキアと呼ばれている。が、現地では決してそう呼ばない方が良い。何故ならアルメニアとトルコは犬猿の仲なのだから。
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 私は宿を見つけると、今度こそは疲れを癒そう。宿で一休みしてから、この街で有名な奇岩を見学して明日この地方を訪れた最大の目的でもあるタテヴ修道院を目指そうと思っていた。しかし飲み物でも買いに行こうと宿を出た瞬間、私は思い直した。シャティリの時だって、雨にすくんで行かなかったとしたら、道は崩壊し当分訪れる事は出来なかった。行ける時に行かなかったら次は無いかもしれないのだ。私は踵を返すと宿の主人にタクシーの手配を頼んだ。