シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・閑話休題2

 眠れない夜は物思いが止まらない。此処シャティリの北に聳えるコーカサス山脈。山脈を越せばチェチェン共和国だ。日本人でもこの国の名は聞いた事がある人は多いと思う。国の名が冠されているものの、この国もまた非認証国家だ。チェチェン共和国の他にもコーカサス山脈の北側には数多くの非認証国家が存在する。ソビエト連邦が崩壊した時、コーカサス山脈の南側ではアゼルバイジャンジョージアアルメニアが次々と独立を果たした。では何故北側はそうなれなかったのか?
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 その理由はソビエト連邦の構成が所以だ。ソビエト連邦は、中心のロシア連邦ウズベキスタンカザフスタン等幾つもの国家が集まって出来た連邦国家だ。南コーカサスの三国もそれらを構成する国のひとつだった。だからソビエト連邦が崩壊した時、これからはそれぞれの国で上手くやってくださいね!と言う事になり晴れて念願が叶った。しかしコーカサス山脈の北側の国々はソビエト連邦では無くロシア連邦内の国々だったので晴れて独立とはならなかったのだ。つまり日本が都道府県ごとに独立するとしたら、南コーカサスの国々は都道府県だったから独立を果たせたが、北コーカサスの国々は都道府県に満たぬ市や区に相当する扱いだった為、独立を果たせなかったのだ。
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 北コーカサス山脈の非認証国家の中でもチェチェン共和国の独立に対する想いは飛び抜けていた。抵抗は帝政ロシアの南下政策によりロシアに組み込まれた時から始まる。元々ロシアとは文化も宗教も異なる彼等、ソビエト時代の宗教弾圧時代は更に彼等にとって厄災の時代だった。彼等の抵抗に対しスターリンは彼等を厳寒のカザフスタン強制移住させ、その中で数多くのチェチェン人が命を失った。
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 こうしてチェチェン人のロシアに対する憎悪は積み重ねられ、そして訪れたソビエト崩壊時にそれは独立運動として一気に噴出した。それがチェチェン紛争だ。
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 しかし国の規模からすると蟻の様に小さいチェチェンが、どうして鯨の様に強大なロシアにこれだけ対抗し得たのか?それはウシュグリで述べた、この地方に根強く残る復讐の掟が存在するからだ。ロシア軍に殺されたチェチェンの家族は6代後までその雪辱を晴らす為命懸けで復讐を果たす。これによりロシア軍は猛暑の真夏でさえマスクで顔を覆い身元がバレない様に戦ったと言う。
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 ロシア側からすれば、ソビエト崩壊により大きく領土が減った上、チェチェンの独立を認めてしまえば、周囲に共和国も雪崩式に独立を目指しかねない事から、その見せしめも兼ねてプーチンは徹底的にチェチェンに攻撃を加えた。それは略奪、虐殺、強姦…凄惨を極めた。
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 しかし幾ら何でもそこまで酷い事をすれば、幾らプーチン内政干渉だと言い張ったとしても、その国内から批判が集まるのでは無いかと思うのが常識だが、そうはならない事情がある。ロシア人が持つコーカサスに対する差別意識だ。プーチンチェチェンを叩けば叩く程支持率を上げてきたのだ。経済政策がこれと言って得意では無いこの男が、長期政権を握っているのは、ロシアで産出される石油価格の高騰もその背景にあるが、コーカサス人の血を啜って成り上がったと言っても過言では無い。
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(写真は拝借)
 ではこの問題を国際社会はどう対応したのか?人権問題に厳しいヨーロッパは当初激しい批判をロシアに向けていた。しかし状況が一変してしまう事態が起きる。アメリカで起こった同時多発テロだ。以降世界はテロとの戦いの機運が高まる。プーチンはその機運を敏感に察知し、チェチェン独立運動テロとの戦いに摩り変えていく。世界はこのレトリックに抗えず、チェチェン紛争に於けるチェチェン人の人権侵害は世界から忘れられていった。
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 こうしたレトリックは今や大国がマイノリティの独立運動を封じ込める常套手段と化しつつある。中国はチベットウイグル独立運動をテロ扱いしている。テロとの戦いと言う言葉は大国を治める為政者達にとっては魔法の言葉だ。テロの驚異を国民に与えるだけで、何の検証も裁判も無いまま他国を攻撃し放題。(司法制度の崩壊、正に復讐の掟時代に後戻り)国内に於いては通常じゃ通りそうもない法律を成立させ放題(我が国でも狂暴ナンチャラって出来ました。)、おまけに支持率さえあがる。今やオリンピックを招致するよりテロを招致した方がよっぽど自国の政治に効果があがる。
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 後々冷静に判断すれば、眉唾臭いテロのなんと多い事か…。9・11然り幾つかのチェチェン絡み然り。こうしてマイノリティの自治の叫びは、メジャリティの思惑(エゴイズム)の下、押し潰されていく。
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 テロとの戦いを強調し、国民に恐怖を与えて、自らの思うがままに政治を進めようとするこの手法、何処かで聞いた事があると思っていたら、とあるブロガーさんの記事でちょうど良く見つけてしまったので、此処に引用させて頂く。
 
「一般市民は戦争を望んでいない。 
貧しい農民にとって、戦争から得られる最善の結果といえば、自分の農場に五体満足で戻ることなのだから、
わざわざ自分の命を危険に晒したいと考えるはずがない。
 
当然、普通の市民は戦争が嫌いだ。
ロシア人だろうと、イギリス人だろうと、アメリカ人だろうと、その点についてはドイツ人だろうと同じだ。
それはわかっている。
 
しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、国民をそれに巻き込むのは、民主主義だろうと、
ファシスト独裁制だろうと、議会制だろうと共産主義独裁制だろうと、常に簡単なことだ。
意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。
 
簡単なことだ。
自分達が外国から攻撃されている、と説明するだけでいい。
そして、平和主義者については、
彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと
公然と非難すればいいだけのことだ。
 
この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」
 
この言葉はナチスの重鎮ヘルマン・ゲーリングの言葉だが、先進国の首相達が声を揃える「テロとの戦い」は正にナチスの発言を実行したものと言えよう。
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私は思う。我々が戦わねばならないものは、テロリズムでは無く、エゴイズムだ。