シルクロードを西へ!コーカサス編ジョージア・ムツヘタ1

 本日はジョージアの古都ムツヘタを訪れる。先日紹介した温泉を発見しトビリシを築いたゴルカサリ。彼がトビリシを建設以前の首都がムツヘタだ。政治的中心が移された後も、キリスト教の総主教座はこの地に留められ、ムツヘタはジョージア人の信仰の中心であり続けた。

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(ジョージアの地下鉄はソビエト時代に作られたので、ソビエト同様地下深い。)
 実はウシュグリへ向かう時も、カズベキに向かう時も、この街を通り過ぎている。ムツヘタが如何に交通の要衝に建っていたかがその事でも解る。トビリシとムツヘタはマルシュルートカで30分もかからない。日本で言えば大阪と京都の位置関係に似ているかもしれない。

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(ムツヘタの街の何処からでも見えるジュバリ聖堂)                      トビリシからムツヘタに向かう為、マルシュルートカが発着するディドベ・バスステーションへとメトロで向かった。バスステーションには露天が雑然と並びバザールを形成している。各観光地名を連呼するシェアタクシーの呼び込みも賑やかだ。こうした光景はアジアそのものだ。教会が建ち並ぶ街並みや欧米人に近い人々を見れば、此処はヨーロッパかと感じるが、人々の暮らしのルーチンはアジアそのものと言える。
 
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 ムツヘタへは30分もかからず到着する。通勤圏内だからか地元の人も多く、マルシュルートカはあっという間に満員になる。ムツヘタに到着するや、先ずジュヴァリ聖堂を目指した。ジュヴァリ聖堂はムツヘタ市街から川を挟んだ丘の上にあり、訪れるのが少々面倒だからだ。しかし歩いて向かいたくてもインフォメーション・センターでもタクシーで行くのを強く薦めると言う。強引に歩いて向かったが、橋を見つけ、高速道路をすり抜け、丘の麓までやって来たが、どうにも登り口を見つけられず敢えなく撤退。こんなところにも昨日カズベキで感じた、地元のタクシードライバーの雇用確保の為に敢えて道を作らないのでは無いか?と言う考え方が再び浮上してしまう。(確かに此処は世界遺産だから、無闇な道路造成は避けるべきだが、登山道くらいあっても良いのでは無いか?)

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(ジュバリ聖堂に飾られている聖ニノが建てたと伝わる十字架)
 結局ムツヘタ市街に戻れば、あっちこっちでタクシードライバーから声がかかる。いや全員本物では無いだろう。その半分は小遣い稼ぎの白タクだ。みんな20、20、を連呼する中、私は10を連呼する。私を捕まえた親父が10に渋い顔を続けていると、向こうから様子を見ていた親父が「その話に乗った!」と叫んで話が纏まった。

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(ジュバリ聖堂からムツヘタ市街を眺める。)
 ジュヴァリ聖堂のジュヴァリとはジョージア語で十字架を表す。ジョージアで圧倒的な信仰を集める聖女ニノ。彼女がカッパドキアから訪れ、この丘の上に十字架を建てたのが、この聖堂の起源だと信じられており、聖堂内部にも大きな木製の十字架が飾られている。カッパドキアと聞いて?と感じる人もいるかと思うが、ジョージアアルメニアに継いで世界で二番目にキリスト教を国教と定めた国。当時未だローマはキリスト教を公認したばかりで、その頃のキリスト教のヨーロッパ進出の拠点はカッパドキアにあったのだ。

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(ムツヘタの街で一際目立つスヴェティツホヴェリ大聖堂)
 さてこの聖堂の魅力は歴史だけでは無い。聖堂からはムツヘタ市街を一望する事が出来る。二つの川が合わさるポイントは、昔の人々にとって象徴的な意味合いと共に街の防御にも重要な役割を果たした事だろう。今となっては余りにもこじんまりとした小さな街に過ぎないが、そんな街並みに不釣り合いな程堂々とした聖堂がある。スヴェティツホヴェリ大聖堂だ。ではジュヴァリ聖堂を降りて大聖堂を 訪れるとしよう。