シルクロードを西へ!ウズベキスタン編ヒヴァ5

 私の背中を突っついたのは、初日にイチャン・カラで出逢ったお土産屋さんの女の子だった。

「昨日は友達の商品買っちゃうんだもん!今日は私の店も見てってよ!」

 笑いながら彼女は言う。昨日、私は彼女に声をかけられたのだが、彼女の店に行く途中、彼女の友達が本を持って登場、その本が私がチェックしていた本だった事から私はその本を買ってしまい、買い物はそこでオシマイになってしまった。

イメージ 8

(夕陽を受けて色合いが大きく変化するイスラーム・ホジャ・ミナレット)
 途中参上の友達を、私は同じ店の売り子さんだとばかり思っていたが、実は隣の店の女の子で、彼女の友達でありライバルだったのだ。つまり最初に私に声をかけた女の子は、友達が本を持っていたばっかりに、鳶に油揚げを奪われる格好になってしまったのだ。

イメージ 7

ウズベキスタンのラグメン)
 私はちょっと申し訳なく思い、女の子の店に行くと、イスラーム帽を幾つか言い値に近い値段で買った。勿論私が欲しかったものだからだ。昨日の事で、本は売れる!と痛感したのだろう。彼女の腕には納品したての私の買った本が数冊抱えられていた。この子も鳶色の目が印象的な娘さんだった。

イメージ 6


 此処を過ぎれば街の反対側の東門もすぐ傍だ。東側に建つ新宮殿、タシュ・ハウリ宮殿を訪れた。キョフナ・アルクより新しいだけあって、内部の装飾は見事だ。

イメージ 5


 中央には丸い台がある。これはユルタと呼ばれるテントを張る為のものだと言う。宮殿にテントとは妙な取り合わせだが、元とは言えば、彼等はテントで暮らした遊牧民、そして此処は真夏には45度、真冬には氷点下20度にもなる。エアコン等無い時代、真夏には宮殿と言う広大なスペースは適していたかもしれないが、極寒の真冬にはユルタ程の大きさが適していたのかもしれない。

イメージ 4


 タシュ・ハウリ宮殿の東はアラクリ・ハーンが建てたマドラサやキャラバン・サライ(隊商宿)がある。キャラバン・サライは現在ではバザールとして利用されており、アラクリ・ハーン・マドラサは伝統文化センターとして利用されている。夜には伝統舞踏が催されると言うので予約を入れた。

イメージ 3

(アラクリ・ハーンのマドラサ
 このマドラサの脇がイチャン・カラの東門パルヴァーン・タルヴァザとなる。

イメージ 2

(パルヴァーン・タルヴァザ)
 別名奴隷の門と呼ばれ、現在では東門一帯はバザールで賑わう場所でもあるが、昔はその中に奴隷の売買があったのかもしれない。

イメージ 1


 狭い内城の中に見所がギッシリ詰まったヒヴァであるが、現在でもその内城には多くの市民が暮らしている。私達にとって世界遺産のこの街も、彼等にとっては日常そのものだ。見所を回った後はそんな風景を見たくてメインストリートから外れてヒヴァの内城を散策した。