シルクロードを西へ!ウズベキスタン編キジルクム・デザート

 朝早く、私を乗せた車はブハラを立ち、ヒヴァを目指すべく一路西を目指した。郊外に抜けると緑はやがて色を失い数を減らしていき、やがて小さな草が生えるだけとなる。ドライバーが私に告げる。キジルクム・デザートに入った事を。

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 desartと言う英語を日本語では砂漠と訳すが、desartは荒野と訳する方が正しい。日本人がイメージする砂丘が続く砂漠の他にも此処の様な木々が生える事が出来ない荒野もdesart と呼ぶ。途中アムダリヤ川と呼ばれる大河に出逢った。荒野の中でその青々とした色が美しい。しかし淡々と水を湛えたこの川もこの渇いた気候の為徐々に蒸発し、海に辿り着く事無くその姿を消してしまうのだと言う。人はそれを尻無し川と呼ぶ。

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 こんな死の世界の様な場所にも人が暮らす。我々の行く手を時折阻む羊の群れがそれを教えてくれる。嘗てこの地を席巻した遊牧民族の末裔だろうか?こんな荒野をひた走りながら、嘗てこの道を行き来しただろうシルクロードの隊商達に想いを馳せる。車で約6時間、駱駝ではいったいどのくらいかかったのだろう?彼等の旅を想うと何故か胸が熱くなった。

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 イスラームを追った旅はいつでも砂漠が付き物だ。砂漠には得るものが無い。だからこそ彼等は交易に活路を見出だした。それは商品の流通だけでは無く、文化の交流と言う意味合いもあった。シルクロードは東西文化交流の大動脈でもあった。今私はそのど真ん中を走っている。

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 やがて車窓に緑が復活する頃、車はウルゲンチの街に到着した。ソビエト占領時代、ソビエトの開発と言う名の破壊行為がウルゲンチに集中した為、ウルゲンチから程近いヒヴァは奇跡的に中世の風景を今に残す事が叶った。

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(ホテルもマドラサ風)
 ヒヴァはデシャン・カラと呼ばれる外城とイチャン・カラと呼ばれる内城の二つの城壁に守られた街だ。近代開発から逃れられた結果、内城内は勿論、外城内も昔ながらの佇まいで新市街と言うものが存在しない。

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(ホテルから旧市街を眺める)
 街の規模は小さく内城の東西の門を繋ぐメインストリートは300m程、内城の城壁の外周約2キロ、外城の外周でさえ約6キロ。しかしその中にギッシリと見所が詰まっているのだ。