シルクロードを西へ!ウズベキスタン編ブハラ4

 乗り合いバスの旅は行きはヨイヨイの旅だ。目的地は大概観光名所だから話も早い。目的地ばかりに意識がいって、自分の乗ったバス停の名前を見落としてしまう。

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 最初に向かったのはストライ・マヒ・ホサ宮殿。此方は街の中心部に残る史跡よりずっと新しい宮殿で、ロシアの影響力が強まった頃に建てられたものだ。ブハラ・ハーンが最後に建てた宮殿でもあり、ロシアの建築家と地元の職人が築いたロシアとウズベキスタンの折衷様式で建てられた。宮殿の内部を見れば、その後に訪れるソビエト占領時代の暗雲の兆しを犇々と感じた。

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 見学を終え帰りの同じ系統のバスに乗った。バス停を忘れてしまった私は、ガイドブックに乗っていた通り名バハウッディン・ナクシュバンディ通りと運転手に告げたのだが、それが間違いの元だとはこの時露にも思わなかった。運転手はとあるバス停で私をバスから降ろし、違うバスに乗り換える様に指示をして、親切にもそのバスの運転手に私の行き先を伝えてくれた。

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 往きと同じ系統のバスに乗った筈なのにと怪訝な顔でバスに乗り込み、順調な帰りの風景に胸を撫で下ろしていると、急にバスは方向を変え、在らぬ方角に進みだした。怪しいぞと感じた時には既に手遅れ、バスの運転手に問い質すも問題無いの一点張り。そうこうしている内にバスは終着駅に辿り着いた。バスの運転手は誇らしげに到着を告げた。私はひきつった笑顔でバスを降りる。

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 此処は何処だ?バスの乗客は吸い込まれる様に一点を目指して歩いていく。その方角を見れば、立派なイスラーム建築が。怪訝な思いでガイドブックを見て全てが判明した。バハウッディン・ナクシュバンディ。中央アジアでメッカに次いで重要だとされる聖地。私が次に訪れようとしていた場所。

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 私はガイドブックを見て次に此処へ行こうと思っていたが、名前が長過ぎ覚えきれていなかった。私は運転手にバハウッディン・ナクシュバンディ通りの名前を告げたのだが、地元ではその名前は通り名より、聖地名としての方が認知されている。だからバスの運転手は勘違いして、私を聖地に連れてきた。一方私もその聖地名を忘れていたので、バスの運転手に全く違う行き先に連れて行かれてしまったと不安になってしまったと言う訳だ。(日本で例えると、靖国通りに行きたいと伝えたら靖国神社に連れて行かれたと同じ事。)

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 結果オーライの偶然が起こしたラッキーだったが、一度失敗をしたので二の轍は踏まない。今度は誰でも知っているリャビ・ハウズに行きたいのだが?と言ってバスに乗り込み、一旦ブハラに戻り、今度は乗り合いタクシーでチャル・バクルに向かった。今度の乗客の相方はウズベキスタンのお嬢様方だったので心強い。

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 チャル・バクルはサマルカンドのシャーヒズィンダ廟群と同様の廟群だが、街の中心から離れている事、シャーヒズィンダ廟群より蒼い装飾が残っていない事等から、訪れる人も少なく、それ故墓地ならではの侘しい雰囲気に浸る事が出来た。

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 ブハラに戻る頃日没が近づいた。ミル・アラブ・マドラサが夕陽を受けて真っ赤に染まる。夕暮れのブハラを堪能した後は約束していたルスタムの家を訪れた。ルスタムの家では彼の母が夕食を作って待っていてくれた。

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 ルスタムの母が作ってくれたプラウウズベキスタンで食べたどのプラウよりも美味しかった。ウズベキスタンの強烈な日差しと日夜の寒暖の差の中で育ったトマトの甘さに驚いた。今夜も様々な話に盛り上がった。

「次来る時はホテルに泊まらず必ず俺の家に来るんだぞ!」

 ルスタムと約束を交わし、見送られ私のブハラ滞在は終わった。