シルクロードを西へ!ウズベキスタン編ブハラ3
ブハラ二日目は街の有名処を見学した。ブハラの街の通りが交差する様な要所には、小さなドームが連なるタキと呼ばれる建物がある。
昔は旅の商人達のキャラバン・サライ(隊商宿)やハンマーム(サウナ)も備えたバザールとなっており、各タキ毎に販売する品が違った様だ。現在ではどのタキも大抵土産物屋が軒を並べる。
そんなタキの一つタキ・ザルカランから西に進めばブハラのもう一つの中心、俗の中心リャビ・ハウズなら聖の中心とも言える広場に出る。
ソビエト征服時代も唯一活動が認められていたミル・アラブ・マドラサ。
一際背の高いカラーン・ミナレットを挟んでブハラの中心となるモスク、カラーンモスクに囲まれた広場だ。ソビエト時代は物置にされてしまったと言うモスクだが、独立を勝ち得て息吹を取り戻した。
このカラーン・ミナレットには謂れがある。その昔ジンギス・ハーンがこの地を襲撃した際、殆どの建物は破壊されたが、ジンギス・ハーンはこのミナレットを目前にし、思わず見上げた瞬間帽子を落としてしまった。ジンギス・ハーンは帽子を拾い上げながら、
「私に頭を下げさせたこの塔を破壊してはならない!」
と部下に命令したと言う。そんな訳でこのミナレットは、数少ないジンギス・ハーン襲来以前から残る建築物として今にその姿を残す事となった。
中央アジアのミナレットは一際高いものが多いが、高い塔は、本来の礼拝の時を告げる為だけでは無く、砂漠の中で灯台の役目を果たし、時に敵襲来の見張り塔ともなり、時に罪人を突き落とす処刑の為の塔ともなった。ジンギス・ハーンにとっても有益な塔だったのかもしれない。
更にその西にはブハラ・ハーンの居城アルク城が聳える。その対面にはブハラ王が参拝したバラ・ハウズ・モスクがある。
アルク城からのブハラの眺めも格別だが、アルク城のすぐ先に古びた鉄塔があり、そこから景色を眺められた。ちょっとおっかなびっくりの鉄塔だったが、眺めは最高だった。
更に西に歩みを進め、サマーニー公園に入る。ブハラっ子の憩いの場だ。この公園の片隅にイスマイル・サマーニー廟がある。モンゴル軍が襲来した際、既に土中に半ば埋もれていた為、破壊を免れたと言う。カラーン・ミナレットと共に数少ないモンゴル軍襲来以前の建築物だ。
小さいながらも均整のとれたその姿は美しく、細かい装飾も見事だ。また中央アジア最古のイスラーム建築と言われ、その点に於いても貴重な史跡となっている。その近くにはチャシュマ・アイユーブ廟が建つ。アイユーブとは旧約聖書のヨブが語源だ。(旧約聖書はイスラーム、ユダヤ、キリスト教共通の聖典である。)
此処まで見終えた私は、今度は地元のバスに乗って郊外の見所を回る事にした。ローカルバスは乗るときのコツが要り、難しさもあるが、それ故に地元の人とのコミュニケーションが必須となる為、必然的に触れ合いが出来る楽しさもある。
昔は旅の商人達のキャラバン・サライ(隊商宿)やハンマーム(サウナ)も備えたバザールとなっており、各タキ毎に販売する品が違った様だ。現在ではどのタキも大抵土産物屋が軒を並べる。
そんなタキの一つタキ・ザルカランから西に進めばブハラのもう一つの中心、俗の中心リャビ・ハウズなら聖の中心とも言える広場に出る。
ソビエト征服時代も唯一活動が認められていたミル・アラブ・マドラサ。
一際背の高いカラーン・ミナレットを挟んでブハラの中心となるモスク、カラーンモスクに囲まれた広場だ。ソビエト時代は物置にされてしまったと言うモスクだが、独立を勝ち得て息吹を取り戻した。
このカラーン・ミナレットには謂れがある。その昔ジンギス・ハーンがこの地を襲撃した際、殆どの建物は破壊されたが、ジンギス・ハーンはこのミナレットを目前にし、思わず見上げた瞬間帽子を落としてしまった。ジンギス・ハーンは帽子を拾い上げながら、
「私に頭を下げさせたこの塔を破壊してはならない!」
と部下に命令したと言う。そんな訳でこのミナレットは、数少ないジンギス・ハーン襲来以前から残る建築物として今にその姿を残す事となった。
中央アジアのミナレットは一際高いものが多いが、高い塔は、本来の礼拝の時を告げる為だけでは無く、砂漠の中で灯台の役目を果たし、時に敵襲来の見張り塔ともなり、時に罪人を突き落とす処刑の為の塔ともなった。ジンギス・ハーンにとっても有益な塔だったのかもしれない。
更にその西にはブハラ・ハーンの居城アルク城が聳える。その対面にはブハラ王が参拝したバラ・ハウズ・モスクがある。
アルク城からのブハラの眺めも格別だが、アルク城のすぐ先に古びた鉄塔があり、そこから景色を眺められた。ちょっとおっかなびっくりの鉄塔だったが、眺めは最高だった。
更に西に歩みを進め、サマーニー公園に入る。ブハラっ子の憩いの場だ。この公園の片隅にイスマイル・サマーニー廟がある。モンゴル軍が襲来した際、既に土中に半ば埋もれていた為、破壊を免れたと言う。カラーン・ミナレットと共に数少ないモンゴル軍襲来以前の建築物だ。
小さいながらも均整のとれたその姿は美しく、細かい装飾も見事だ。また中央アジア最古のイスラーム建築と言われ、その点に於いても貴重な史跡となっている。その近くにはチャシュマ・アイユーブ廟が建つ。アイユーブとは旧約聖書のヨブが語源だ。(旧約聖書はイスラーム、ユダヤ、キリスト教共通の聖典である。)
此処まで見終えた私は、今度は地元のバスに乗って郊外の見所を回る事にした。ローカルバスは乗るときのコツが要り、難しさもあるが、それ故に地元の人とのコミュニケーションが必須となる為、必然的に触れ合いが出来る楽しさもある。