シルクロードを西へ!ウズベキスタン編ブハラ2

 リャビ・ハウズで腹を満たした後はブハラの街を散策する。ブハラの街は見所と住宅地が解離していたサマルカンドと違い、見所は住宅地と共存している。主だった観光の中心はリャビ・ハウズの西側にあるが、先ず東側から散策を始めた。

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 東側の見所と言えば四本のミナレットが印象的なチャル・ミナルだ。元々はマドラサの見張り小屋だったそうだが今ではマドラサは現存しない。可愛らしいその姿を眺め、他の観光客があまり訪れないであろうマドラサ等を見学している内に私は一人の男と仲良くなった。肌の色からしタジキスタン系の人だろう。

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 私は彼に勧められるまま彼の家を訪れた。其処で彼と様々な話をした。当時の百年に一度と言われる世界不況の話題も持ち上がった。実際彼もロシアで出稼ぎしていたそうだが仕事を失い帰郷中だとの事。私はちょっと驚いた。

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 イスラームは旅人をもてなす事は徳を積む行為、またイスラームでは弱者を救済する事も徳となる。彼の行為がこうした宗教的なものから来る事なのか、彼の個人的な資質からくるものなのか、それは解らない。しかし私はこれまで、この様な親切を幾度かイスラームの国々で受けてきている。それは我々の国よりずっと経済的に貧しい国々での出来事だった。

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 彼は日本の発展ぶり、経済を大変褒め称えてくれたが、私は素直に喜ぶ事が出来なかった。私がもし失業中なら旅人を家に呼んで持てなそうなんてゆとりがあるだろうか?財力としても、心のゆとりとしても。我々は今日の発展を得る為に、大切な何かを失ってしまったのでは無かろうか?

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 彼の家を出ると、辺りはもう真っ暗になっていた。日没が過ぎればブハラの街は静まり返る。私は急ぎ足でホテルのあるリャビ・ハウズ前に戻った。戻ってみれば驚く事にリャビ・ハウズ周辺は煌々と灯りが点され静かなブハラの夜に、此処だけが昼の様に賑わっていた。

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 ハウズの周辺のレストランは何処も満席。ブハラっ子の若者達が憩いの時を過ごしている。ソビエトの占領時代を抜け出し、信仰の自由を取り戻し、ありのままの生き方を取り戻したブハラの生き生きとした姿を眺め、私はホテルに戻った。