シルクロードを西へ!ウズベキスタン編ブハラ1

 再び列車に乗ってサマルカンドからブハラを目指した。車窓の風景はタシュケントサマルカンド間よりずっと乾燥したものになった。緑が薄くなっていく、砂漠が近づいている。

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 ブハラの駅に到着した。終点なので客が一斉に降りていく。スロープで大きな荷物を押している老婆を、何処からともなく駆け寄った若者が荷物を押し上げ、老婆が礼を言う暇も無く駆け去っていった。なんだか良い旅先となりそうだ。

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 ブハラは古くからペルシャの影響を受け成長した。イスラームが伝播すると中央アジアイスラームの中心都市としてブハラは繁栄し

「他の都市では光は天から射し地を照らすが、ブハラでは光は地から射し天を照らす。」

 とまで言われた。そんなブハラもジンギス・ハーンの遠征により木っ端微塵に破壊され、その後興ったティムール帝国ではサマルカンドが首都となった為、一時期ブハラは停滞するが、ティムール帝国崩壊後はブハラ・ハーン国の首都として再び栄光を取り戻した。

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 そんなブハラには聖と俗、二つの中心がある。俗の中心はリャビ・ハウズ。ハウズとは溜め池の事だ。雨の多い日本では池は大した存在では無いかも知れぬが、渇いたこの地では重要性が違う。ハウズの回りには今はマドラサが建ち並び、ハウズはブハラっ子の憩いの場となっている。

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 その中でも有名なマドラサとしてナディール・ディヴァンベギ・マドラサがある。このマドラサの門にはサマルカンドのシェルドル・マドラサ同様イスラームの戒律に反した偶像表現がある。建設当初は宗教施設では無いキャラバン・サライ(隊商宿)として建てられたから偶像が描かれたが、途中マドラサとして改装されたと言うが、意図的だったとする伝承が残る。

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 現在ではハウズ周囲のマドラサは土産屋やレストランとして使用され、ハウズ周囲にも屋外レストランが店を広げている。中央アジアではベッドの様な台の上にテーブルを置いた席があり、客はベッドの部分に胡座をかいて座り食事をする。

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 ウズベキスタンの代表料理はプロフ。アフガニスタン起源の料理で、これが西洋に伝わりピラフとなる。付け合わせにはシシャリク。所謂ケバブだが、普通は焼き鳥程度の大きさのものが多いが、これは1本でも十分食べ堪えあるものだった。

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 池の畔には一つの銅像があった。ティムールの銅像は支配者だけあって堂々としたものだったが、此方は何処かユーモラスだ。彼はフッジャ・ナレスディン。神学校の先生だった人物だが、日本で言えば一休さんだ。

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 ある日ケチな高利貸しがリャビ・ハウズで溺れてしまった。人々は助けようと「手を出せ!」と言うが、人から貰う事は好きでも、「出す」事が嫌いな高利貸しは手を出さない。そこでナレスディンが「コインをあげるよ!」と声をかけると、高利貸しは条件反射で手を出して助けられたとさ。と言う逸話が残されている。彼は庶民から愛された神学者、おどけたユーモラスな銅像の意味はそこにあった。