シルクロードを西へ!ウズベキスタン編サマルカンド2

  グル・アミール廟から西に向かえばサマルカンド、いやウズベキスタンが紹介される時、必ずや取り上げられるスポットであるレギスタン広場に到着する。

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 レギスタン広場とは砂の広場と言う意味で、サマルカンドの固有の広場名では無く、ウズベキスタンの中心的広場に命名されるが、サマルカンドのそれが飛び抜けて有名なだけあって、一般的にレギスタン広場と言えばサマルカンドのそれを指す事が多い。

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 私もこの広場を目前にした時、久しぶりに痺れる様な感覚を抱いた。右からウルグベク・マドラサ、ティラカリ・マドラサ、シェルドル・マドラサと三つのマドラサ(神学校)が絶妙なアンサンブルを構成している。

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 西側に建つウルグベク・マドラサはティムールの孫であるウルグベクが建てた神学校で、彼は天文学者であった事もあり、此処では天文学、哲学、数学等が教えられた。彼はサマルカンド郊外に観測所を建設したり、天文学の向上に努めたが、それが仇となり保守的な派閥により命を落とした。

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 まるで地動説を唱えたばかりにキリスト教の宗教裁判にかけられ命を落としたガリレオ・ガリレイと同じ末路と言えるが、ガリレオの百年前にウルグベクは地球が太陽を周回している事を知っていたのだ。

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 ウルグベク・マドラサの対面に建つシェルドル・マドラサはウルグベク・マドラサを模倣して1636年に建立された。特徴的な事はアイヴァン(前門)の左右に描かれた虎と人物の偶像だ。これは偶像を嫌うイスラームに反するデザインだが、当時の権力者がどうしても自分を誇示したかったから描かれたと言われ、結果建築家が自殺したと言う伝説も残されている。

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 そして中央に建つティラカリ・マドラサは1660年に建立され、後述するヒビ・ハニム・モスクが崩壊した後はモスクとしても使用された。ティラカリとは「金箔された」と言う意味を持ち、字の如くふんだんに金箔を施された装飾が見事である。

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 さてレギスタン広場の場内には異常な程警官がいた。私は共産圏の警官にはとても警戒していた。しかし彼等は何かを警戒している様子は全く無い。それどころか私を見ると捕まえて無駄話に花を咲かせる。どうやら月末には報告書を書かねばならない様で、これだけ街に警官が出ているらしい。良くも悪くも共産主義から脱却してルーズになってしまったか?

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 そんな彼等から共産圏らしい?賄賂の話が持ちかけられた。ウルグベク・マドラサミナレットに登らないか?と言うのだ。これを持ちかけられると私も弱い。勿論値引きも忘れなかったが、結局私は収賄に負けた。

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 ミナレットの上からは、レギスタン広場は勿論、これから訪れるヒビ・ハニム・モスクも眺める事が出来た。