シルクロードを西へ!ウズベキスタン編序章1

 ウズベキスタン、 1991 ソ連崩壊に伴い解放された中央アジアの国々と共に独立を果たした新しい国でユーラシア大陸を東西に走るシルクロードの中央部に位置する。海に達する為には二回国境を越えなければならない世界でも二つしか無い二重内陸国でもある。(もう一つはリヒテンシュテイン)

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 中央アジアの歴史に於いて、一番の大事件はなんと言ってもジンギス・ハーン率いるモンゴル帝国の襲来だろう。ユーラシア大陸を東から西へと駆け抜け、ヨーロッパまで震撼させたモンゴル帝国シルクロードのど真ん中に位置するウズベキスタンの主要な街の殆どは、モンゴル軍に完膚無きまで破壊され尽くした。

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モンゴル帝国最大領域)
 しかしモンゴル帝国はジンギス・ハーン亡き後は、各地域に分割されて統治が進み、各地域ではそれぞれ以前から存在した文化が復活した。例えば中国の部分を統治したジンギス・ハーンの息子フビライ・ハーンの元は急速に中国化し、それより西域の中央アジアの各ハーン国はそれまでのイスラームを信仰する国に戻っていった。

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モンゴル帝国分割統治後)
 そんなイスラームに戻ったハーン国の中から台頭した人物がティムールだ。ティムールはモンゴル帝国の再興を旗印に中央アジアを席巻し、西はヨーロッパのハンガリーまで攻め込み、中央アジアから西アジアに及ぶ広大な帝国を築き上げる。そして東征に出ようとしたが、その直前に病没する。前の章で訪れた嘉峪関の関所は、このティムールの遠征に備えて明が築いた防衛の為の関所だ。

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ティムール帝国最大領域)
 ウズベキスタンにはこんな言葉が残っている。

「ジンギス・ハーンは全てを破壊し、ティムールが全てを造り上げた。」

 以前存在したウズベキスタンの街はモンゴル襲来で灰塵に帰したが、ティムールはサマルカンドを首都として再興し、モスクやマドラサ(神学校)等様々な建築を後世に残した。そんな歴史より、ウズベキスタンではティムールは建国の父の様に慕われている存在だ。

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wikiより)
 そんな経緯により、遊牧民族が多く歴史的建造物が余り残っていない中央アジアの国々の中で(遊牧民族は移動が基本の生活様式の為)ウズベキスタンティムール帝国を筆頭とした歴史的建築物が集中する国となっている。

 そんなシルクロードのど真ん中に点在する、歴史ロマン溢れる街々を訪れに、私はウズベキスタンへ旅立った。