シルクロードを西へ!新疆編3嘉峪関

 嘉峪関の駅を降りた瞬間私は余りの寒さに身震いした。砂漠は真夏は猛暑だが、秋が過ぎると極寒だ。10月下旬を甘く見ていた。しかも此処は2000m弱の高地で更に寒波が到来していると言う。寒い訳だ。

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 私は先ず懸壁長城へ向かった。東は山東省から続く万里の長城の西の果てであり、その長城が急峻な山に差し掛かる絶景の地だと言う。しかし私が到着した時には濃霧と言おうか、高地故に雲なのか?全く視界が効かない状態だった。

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 しかし折角来たのに門前払いでは悔しいと思い、私は五里霧中の中長城を頂上目指して登っていった。するとどうだろう。最初は一寸先さえ見えなかったものの、雲が薄かったのか、私が登る速さが雲の上昇速度を上回ったか、私は雲の上に飛び出した。雲の上はド快晴だった。

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 山の上に連なる長城を眺め、眼下には嗚呼大雲海が広がっている。私はその絶景を満喫したが、それはやがて一瞬にして、やがて昇って来た大雲海に覆われてしまった。

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 時に旅は人生訓を教えてくれる。諦めていてはこの絶景を眺められなかった。浮かれていてもシャッターチャンスを逃してしまった。人生は諦めても浮かれてもいけないのだ。再び五里霧中の中長城を下った。途中二人組の中国人旅行者が霧の中行くか行かぬか相談していた。私が今覚えた人生訓を説教する。二人は意気揚々頂上を目指した。

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 次に訪れた嘉峪関は万里の長城の最西端の関所だ。つまりこの関所の外に出れば当時の中国の国外と言う事になる。中国の西の国境はその時代の国の情勢により東西に移動したが、嘉峪関は明の時代に築かれた国境の関所で、三つの楼閣を有する厳重な構えを持っている。これは第三部ウズベキスタン編で詳しく紹介するティムール帝国の襲撃に備えたもので、河西回廊の南北の山々が一番迫る部分に設けられた鉄壁の要塞でもあった。

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 嘉峪関を往き来した当時の旅人達はどんな想いでこの関を越えたのか?西を目指した旅人達は、故郷への惜別と未だ見ぬ異国の地へ期待と不安でいっぱいになりながらの旅立ちだった事だろう。反対に西から辿り着いた旅人達はやっとの想いと、関所越えに緊張を伴いながらの関所越えだった事だろう。

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 勿論旅人の想いはスケールこそ違えど今の時代も変わらない。私もこの関に立つ事で、シルクロードの旅が始まった事を実感し、そしてシルクロードを旅する想いが一段と沸き上がってきた。

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 さて寒さに震えながら観光を終えたら暖かいものを食べたくなる。此処でも中国西域の美味しい料理に巡り会えた。砂鍋と呼ばれるものだ。砂鍋と言っても砂を入れる訳では無く所謂土鍋だ。一人用の小さな鍋なので一人旅でも安心して食べられる。野菜や肉、そしてうどんも入り具沢山。身も心も暖まる美味しい料理だった。