モロッコ旅行記13

 フェズの創建は808年、京都の創建が794年だから同じくらいの歴史を持っている事になる。しかし決定的に違う点は京都は自社仏閣を除けば最早近代的な都市である事に比べ、フェズは創建当時そのままの姿が残されている事だ。

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 道幅は当時の寸法、即ちメインストリートは馬車の幅によって決められている。従って当然車は旧市街の中には入れない。現在でも馬や驢馬が車代わりに大活躍している。

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 馬車の速度に合わせて進む時の流れは、車の速度に合わせた現代の街の時の流れとかけ離れて感じられる。高く聳えるフェズの城壁は時空さえ遮っているかの様に思えた。

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 ブー・ジュルード門を潜ると道は二つのメインストリートに分岐し、どちらも賑やかなスークとなっている。其処に点在する見所を押さえながら奥に分け入った。先ず最初に見えて来るはブー・イナニア・マドラサ(神学校)だ。神学校だけに中に入れば凛とした空気に包まれる。此処にもアルハンブラ宮殿の影響を大きく感じる装飾を堪能する事が出来る。

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(ブー・イナニア・マドラサ)
 更に奥へ入れば、ムーレイ・イドリース・廟やカラウィーン・モスクに続く。残念ながら信者オンリーなので門の外から様子を伺う。

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(ムーレイ・イドリース・廟)
 カラウィーン・モスクを過ぎると道は複雑さを増していく。此処周辺を境に「タンネリ!カワナメシ!」と現地語と日本語を織り混ぜた勧誘が多くなる。これは職人の街フェズの特産である革製品の工房と其処から眺められる街の風景を観光客に見せ、その帰りに拝観料とお土産購入を期待してのものだ。

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(カラウィーン・モスク)
 私もその中から一軒をチョイスして見学させて頂いた。革加工の染料によるものなのか?猛烈な悪臭と強烈な陽射しの中、製作に携わる職人達に脱帽しながら密集するフェズの景観を楽しんだ。

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 工房を後にして気づいた事がある。作業場があるテラスに出る迄、私はこれ程陽射しが強烈である事に気づかずにいた。その理由はフェズの細い道に答があった。フェズの道が狭いのは馬車の幅規格である事は先述した。それと共に道の両側に立つ家々が道往く人々から強烈な陽射しを遮っていたのだ。フェズの道は陽射しまで考慮に入れた、強烈な陽射しの下に暮らす人々の知恵だったのだ。