モロッコ旅行記4

 旧市街の散策は前回紹介したクトゥビアを起点に始まった。先ずは史跡地区と呼ばれる新旧の宮殿が残る地域を散策した。マラケシュで一番荘厳と言われるアグノウ門を潜ると史跡地区に入る。

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アグノウ門はスルタン(王)が宮殿に向かう際使用された門だが、罪人の首を掲げた門でもあったと言う。宮殿地区にはサアード朝時代の今では廃墟と化したエル・バディ宮殿やスルタンの眠る墳墓群、そして現在のモロッコ国王も宿泊するバビア宮殿等がある。

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(エル・バディ宮殿)
旧市街にはベン・ユーゼフ・マドラサマラケシュ博物館等の見所がある。マドラサとはイスラームの学校の事である。

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(アルハンブラを彷彿させるバビア宮殿の装飾)
そのいずれにもスペインで見る事となるアル・ハンブラ宮殿の影響が色濃く残る。スペインは中世にイスラーム王朝が花開いた。しかしレコンキスタキリスト教の国土回復運動)によりイスラームイベリア半島から追い出されると、彼等は此処モロッコへと落ち延び、此処でアル・ハンブラ宮殿製作時に結集させた技術を再びモロッコの大地で披露したからだ。

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(アルハンブラを彷彿させるバビア宮殿の装飾)
この様なイスラーム建築に入ると必ず中庭、パティオがある。中央に水盤を必ず置くのがイスラーム風だ。ヨーロッパでは豪華な庭を全面に主張するが、イスラームは外は武骨でも内部に美しい中庭を築く。これには理由がある。

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(マラケシュ博物館のパティオ)
イスラームは富や美を人に極力ひけらかさせない教えがある。人に極力僻みや妬み等の負の感情を与えない為だ。女性の持つ美しさをベールで覆うのも、その考え方の一つであるが、家の豪華さもそれに含まれるからイスラームの人々は美しさを中庭に秘める。だから外から一見するとイスラームの住宅街は粗忽にさえ感じる事がある。

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(ベン・ユーゼフ・マドラサ(神学校)のパティオ)
もう一つ重要な要素がある。地域的要因だ。イスラームは砂漠で生まれた宗教。此処モロッコもまたサハラ砂漠が迫る大地。砂漠で家の外側に無防備に庭を広げても、吹き荒れる砂嵐に一瞬にしてやられてしまう。美しい庭を築くには、周囲を人工物、即ち家屋で囲む必要があったのだ。彼等が中庭を築くのは地域的に必然でもあったのだ。

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(バビア宮殿のパティオ)
ただ単に眺めていると美しいと感じるだけで終わってしまうが、建築一つ、そのルーツを追ってみても、彼等が過ごしてきた歴史が見えてくる。