モロッコ旅行記3

? ホテルで長旅の疲れを癒し、家を出て3日目の朝漸く本格的な街歩きが始まった。北アフリカ等ヨーロッパの植民支配を経験した地の大きな街は、大抵それ以前から続く旧市街と征服した国が築いた新市街から出来ている。フランスに支配されたモロッコでは新市街はパリの様に放射状の道路を持った新市街がある。しかし私が向かうのは歴史的見所とモロッコらしさが凝縮された旧市街だ。

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 その旧市街のシンボルとも言えるのがクトゥビアと呼ばれる塔だ。ほんの数日前、ガイドブックや写真集で毎日の様に眺めていたそれが、今目の前にある。旅に出る度に感じる事だが、夢に見てきたものが現実となった、いや未だこれは夢の延長なのか?と言った夢うつつの様な面持ちでクトゥビアを見上げる。

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 クトゥビアとは、12世紀に建てられたモスクのミナレット(礼拝の時を知らせる為の塔)の事だ。ミナレットはもっと細い円柱状のものが現在では一般的だが、北アフリカではクトゥビアの様な角柱状のものが多い。他に代表的な角柱状のミナレットとして、今はキリスト教の鐘楼として使用されているスペイン・セビーリャにあるヒラルダの塔が有名である。

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(ヒラルダの塔セビーリャ、スペイン写真は引用)
 角柱状のミナレットは原初に近い形状と言える。イスラームユダヤやキリストに遅れて生まれた宗教、その文化の発達過程で多くをキリスト教国家であるビザンティン帝国の文化から吸収し発達させてきた歴史がある。その過程で宗教施設の塔建築も例外では無かった。

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(濃い橙色の部分がビザンティン帝国の領土)

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ウマイヤ朝の領土。ビザンティン帝国の領土と被っている箇所が多い事が解る)
 キリスト教の教会は鐘を塔の上部に設置し時を知らせる。だから昔から今日まで塔は角柱状のまま発展を遂げた。しかしイスラームは詠唱で礼拝の時を告げる為鐘を塔の上部に設置する必要が無い。なので建築技術の発達と共に如何に細く、スタイリッシュに建築するかが競われ円柱状の細長いスタイルに変遷した。

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(鉛筆状のミナレットを持つトルコ・イスタンブールのブルーモスク 写真・引用)
 しかし北アフリカでは昔ながらの角柱状のスタイルのままミナレット建築が息づいていた。建築のスタイルにも、どうしてその様なスタイルが出来たのか?それには宗教なりのスタイルの違いや需要等人的な理由で変わるもの、またその地域で採掘される建材の理由で変わらざる得ない理由もあり、その地域で見られる建築の歴史を遡る事で、その国の様々なものが見えてくる。