ソウルフード

 今から遠い昔話、私は大好きだったjazzを求めてニューヨークに旅立った。

今でこそjazzはお洒落な部類の音楽となったが、jazzが生まれた当初、それは黒人差別に苦しみ、それと戦う彼等の魂の叫びだった。

アフリカから奴隷として連れて来られた彼等、彼等の奏でる音楽は西洋のドレミの音階から特定の部分が1/4ずれる独特の訛りがある。半音階づつ上がるピアノでは決して正確に表現出来ないこの音楽を西洋人は憂鬱な音、即ちブルースと呼び、その音階をブルーノートと呼んだ。

jazzは最初は白人達を楽しませる為、奴隷である黒人達が奏でる音楽に過ぎなかった。しかし50年代にさしかかろうとする頃、チャーリー・パーカーバド・パウエルセロニアス・モンク等鬼才達が、黒人の、黒人による、黒人の為のjazzを切り開いた。テーマこそ纏まって演奏するが、それ以降はそれぞれのパートがアドリブ合戦を繰り広げる。荒々しく短兵急で、神憑り的なそんな彼等の音楽を、人はビバップと呼んだ。


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Confirmation

そのムーブメントは一時的なものに、終わる事無く、マイルス・デイビス等編曲に優れた人材の登場により、更に進化し勢いは留まる事が無かった。

しかし黒人達への差別も変わる事無く、水のみ場やトイレも白人達とは区別され、演奏の表彰が終わり、迂闊に白人の横に座ってしまっただけで、無礼者と殴り倒される程彼等の身分は低かった。

そんな中、彼等にとってjazzとは人間としての存在意義を示せる唯一の場所であり手段だった。悲しみや怒りを笑顔に変えて、jazzに託して…。あの頃のjazzは黒人達の泣き笑いだ。


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These are soulful days

ブルーノート、ビレッジ・ヴァンガード、スイート・ベイジル…私はjazzを求めて毎晩ジャズクラブを渡り歩いた。日本でなら万を払わなければ見れない様な大物が、一番前の手の届く様な位置で演奏する。地元ならではの彼等のリラックスした演奏に感激の連続だった。

現地発ツアーに参加しハーレムも訪れた。マイケル・ジャクソンもデビュー前に出演していたアポロ・シアター、勿論ジャズクラブも訪れた。最後にハーレムの家庭料理を食べに訪れた。


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I remember Clifford

私は渡米して辟易していた事があった。料理だ。日本のジャンクフードをガサツにして量だけ増やした、まるで家畜の餌の様な食事の連続に嫌気が指していた。

そんな中訪れたハーレムの家庭料理で、アメリカに来て初めて味わう美味しい料理に涙が出る程感動した。それは煮込み料理が中心だった。煮込み料理は日本人の口に良く合う。だけど
、その料理の由来を知って、更に涙が出そうになった。

黒人達、嘗て彼等は奴隷だった。奴隷には御主人様の残飯しか与えられなかった。痛む寸前の残飯を食べる為、彼等は煮込んだのだ。いや煮込まざる得なかった。

我々の料理のメインはスペアリブだった。その成り立ちはもう聞くまでも無い。御主人様が食べ残した骨の部分。彼等にとって、肉はそれでも御馳走だ。煮込んで、煮込んで食べたのだろう。どんな気持ちで煮込んだのだろう?悔しかっただろう。哀しかっただろう。そんな想いと共に、コツコツと煮込んで生まれた料理がスペアリブなのだ。ソウルフードとはこうして生まれた料理を指す。今では高級レストランでも出されるメニューにそんなエピソードがあったとは…。

悔しかった事があった晩は、jazzを聞きながらスペアリブをかじろう。

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皆様は今晩はどんな夕食が献立でしょうか?そのメニューの由来をググって見れば、味わい深さがググッと上がるかもしれません。