2008メキシコ旅行記8

?? さて私が訪れた最後の4つ目のピラミッド、チチェン・イツァのピラミッド、通称エル・カスティージョはマヤ・戦国時代のピラミッドなだけにとてもスパルタンな印象を受けた。

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 ピラミッドの四面にはそれぞれ階段が設けられているが、その段数は91段。四面合わせれば91×4で364。これに頂上の神殿を1段とすれば365、段即ち一年を表しているのだと言う。更に春分秋分、一年に二回、階段部分に太陽の陽が醸し出す陰影で、蛇が現れる仕掛けになっている。つまりこのピラミッドは天体観測儀の役割を持っていたと想像される。

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 この一年に二度現れる蛇を見て、当時の王は庶民に種蒔きの時期を知らせたり、農耕のタイミングを見計らう事によって、庶民の王朝への支持を勝ち取り、繁栄を築いたのだろう。

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(ドクロのレリーフとエル・カスティージョ)
 このピラミッドに一年に二度現れる蛇、それをマヤ語でククルカンと呼ぶ。羽毛を持った蛇の神だ。此処で「あれ?」と私は思った。羽毛を持った蛇…。そう、私が一番最初に訪れたピラミッド、ティオティワカンにも羽毛を持った蛇の神が数多く彫られていた。しかしティオティワカンはマヤでは無いし、もっとそれ以前に栄えた文明だ。

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(ククルカン=ケツァルコアトル)
 調べてみるとククルカンはティオティワカンで信仰されていた羽毛を持った蛇=ケツァルコアトルのマヤ語、即ち同じ神様だと解った。羽毛を持った蛇の彫像はパレンケやウシュマル等では見られない。

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(戦士の神殿)
 この事からマヤ文明後期にメキシコ中央部から、ティオティワカン文明を継承した民族(トルテカ)がマヤ文明流入し、彼等の思想をマヤに持ち込んだ。彼等の信仰する神がピラミッドに彫られている事から想像して、その思想は中枢を動かす程影響を持つに至っていたと思われる。

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(ドクロのレリーフ
 外部からどうして異民族がこの地方に流入したかは解らない。食料事情の枯渇か?水の利権を求めてか?…。しかし時を同じくしてマヤ文明が戦国時代に突入していく事を鑑みると、この異民族流入がマヤ戦国時代突入から滅亡に至る大きな鍵を握っていたのは間違い無いだろう。