2008メキシコ旅行記4

 発券ミスによってあわやと言うピンチを脱した私は次なるピラミッドを目指してパレンケ遺跡へと向かった。これから紹介する遺跡は全てマヤ文明の遺跡であり、ユカタン半島に根付いた文明である。パレンケはそのユカタン半島の付け根の部分に位置する遺跡であり、7世紀、マヤ文明古典後期を代表する遺跡である。

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(密林の中に遺跡は佇む)
 マヤ文明は非常に謎の多い文明で、インカ帝国同様鉄器や車輪と言うものを利用しなかったにも関わらず、高度な農耕技術とそれを支える高度な天文学的知識を持った文明だったとされる。特に天文学では複数の暦を使っており、その正確さは現在使われているグレコリオ歴に勝るとも劣らなかったと言われる。

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 その複数の暦が合わさる年が2012年だった事から、2012年地球滅亡説が囁かれたりして話題を集めた。

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(十字の神殿)
 しかしそんな高度な技術に彩られたマヤ文明も、13世紀頃忽然とユカタン半島からその姿を消してしまう。その理由は未だ謎のままだ。

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 パレンケ遺跡はメキシコでも一番高温多雨な地域に存在する。到着し車を降りると、ムッとする様な蒸し暑さと緑の匂いに包まれた。ジャングルを潜り足を進めれば、密林の向こうに巨大な神殿群が現れた。

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(碑文の神殿)
 マヤ遺跡のピラミッドはエジプトのピラミッドやティオティワカンのそれの様な壮大さは無いが、独創的な姿が美しい。中でも一際シンボリックな碑文の神殿からは、パカル王の墓が発見され、それまでのメキシコのピラミッドは墓では無いと言う定説を思いっきり覆して考古学界を色めき立たせた。

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(パカル王の翡翠の仮面 写真は引用)
 また、その王墓に描かれた王のレリーフが、まるでロケットを操縦している様に描かれていた事から、メキシコのピラミッドも宇宙人が作ったのではないかとUFO信者達も色めき立った。

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(ロケット操縦説の発端となったレリーフ 写真は引用)
 結局未だその決着はつかぬままだが、パレンケ遺跡には小型のピラミッド状の建造物が幾重にも並んでいる。ひとつは王墓でひとつは神殿でとそれぞれ役割が変わっていたとしても不思議では無い。

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 ひとつの登れる神殿の上から遺跡を眺めた。パレンケの発掘作業も未だ途上。ユカタン半島のこの密林に人知れず未だ発見されずにいるピラミッドが残っているかもしれない。さて駆け足だが三つ目のピラミッドへ向かおう。