2008メキシコ旅行記2

 ティオティワカンは二十万人が暮らしたと言われる都市国家遺跡だけあって広大な遺跡だ。中央に死者の道と名付けられた大通りが残り、大規模な計画都市だった事が伺われる。その目指す先に月のピラミッド、それより手前右に太陽のピラミッドが聳え立つ。

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(死者の大通りと月のピラミッド)
 メキシコのピラミッドは階段があるので登る事が出来るが、昨今転落などの危険や遺跡保護の観点から登頂を禁止するピラミッドが増えた。しかし此処では太陽のピラミッドが開放されている。観光客は大挙してピラミッドに登り、頂上に辿り着くと両手を太陽に向ける。良いことがあるとの地元の信仰なのだ。そう言えばマヤ文明も太陽神を信仰していた。遥か以前にスペインに滅ぼされ、オリジナルの宗教も言葉も失ったとは言え、DNAに刻まれた何かが彼等に太陽を拝ませるのか?

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(太陽のピラミッド頂上から月のピラミッドを臨む)
 二つのピラミッドの他にもケツァルコアトルの神殿やジャガーの神殿等の施設が今に残る。ケツァルコアトルとはマヤ語でククルカン。農耕の神様で羽毛が生えた蛇を表すそうだ。その像がこれでもかと言う程彫られていた。大河が無かったとすれば安定的な水源確保に雨水は欠かせない。この夥しい数の彫像は、彼等が如何に雨を欲していたかを現していると同時に、彼等の滅亡に水が大きく関与しているのでは無いかと推測を巡らせた。

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(ケツァルコアトルの神殿)
 遺跡見学を終え、途中名所であるグアダルーペ寺院、そしてメキシコシティの中心、ソカロを急ぎ足で見学した。旧市街とは言え、其処にある光景はメキシコ本来の姿では無く、大航海時代のスペインの建築だ。

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ケツァルコアトルの像)
 大航海時代、即ち現地からして見れば大侵略時代にメキシコの先住民族マヤ・アステカ文明は滅ぼされ、彼等の都市は完膚無き迄に破壊され、その上にスペインの街が築かれた。先住民族は強制的にキリスト教に改宗され、言葉もスペイン語を強要された。

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(グァダルーペ寺院)
 今となっては身も心もクリスチャン。話す言葉もスペイン語で最早オリジナルの言語の解明は学者の研究の成果を待つ他無い。そんな中南米の旧市街を歩いていると、中南米にいながら、大航海時代のスペインの街を見せられている気分になる。これはメキシコシティに限らず中南米の旧市街全体に言える事でもあるが
…。

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(カテドラル)
 侵略した土地の全てを破壊し、自らの街のフランチャイズを其処に築く。この点は侵略活動はあったものの、文化の継承は現地の文化と融合しながら発展していったイスラームの広がりと大きく異なる部分であると感じた。

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(カテドラル内部)
 さて、ゆっくりとしてはいられない。不本意ながら急ぎ足で空港へ向かった。今回の旅は強行軍であると同時にオープンジョーの旅。つまりメキシコシティから入国して、遠く移動してカンクンから出国する。メキシコシティからカンクンまで4日間で移動出来なければ帰国便のチケットは無駄になってしまう。移動の失敗は許されないのだ。

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(独立記念塔)
 しかしその許されない出来事が空港で起きてしまったのだ!