2008メキシコ旅行記1

 アンコールワットで遺跡の魅力に取り憑かれ、エジプトのピラミッドで更に遺跡の奥深さに魅了された私が、他にもあるピラミッドに興味を持ったのは自然な流れだ。

「メキシコにピラミッドを見に行く!」

 と言うと大抵

「え?ピラミッドってエジプトじゃなかったっけ?」

 と返される。でもあるんです。メキシコにも!前回はエジプトのピラミッドを紹介したので、今回はメキシコに点在するピラミッドを見学した旅を紹介しよう。前回はスカスカな日程の団体ツアーだったが、今回は時間が取れず、なんと現地4日間で4つのピラミッドを巡るカッツンカッツンの弾丸日程での旅だった。

イメージ 6


(月のピラミッド)
 私の大嫌いなアメリカ乗り継ぎをなんとか我慢し降り立ったメキシコシティの空港。メキシコシティは人口で東京を上回る巨大な都市だ。そんな街の懐でタコスの屋台でタコスとコロナビールでメキシコ気分を盛り上げた。

イメージ 5


(死者の大通り、正面奥に月のピラミッド、右手に太陽のピラミッド)
 日が開けて早速ひとつ目のピラミッド。ティオティワカン遺跡へと向かった。エジプトのピラミッドより角度は緩く、その為正三角形の持つ完璧さは無いものの優雅な佇まいを持っている。また大きさではティオティワカンの太陽のピラミッドは、エジプトのクフ王カフラー王のピラミッドに次いで世界で三番目に大きいピラミッドとされている。

イメージ 4


(月のピラミッド)
 メキシコのピラミッドの大きな特徴は、どれも階段を備えている事で、此処がエジプトのピラミッドと大きく異なる部分だ。この事からメキシコのピラミッドはその天辺に建てられた神殿の為の巨大な土台の役割を担っていたのでは無いかと推測されている。

イメージ 3


(太陽のピラミッド)
 ティオティワカンは、後に訪れるマヤ文明が築いたピラミッド群より遥かに昔のピラミッドである。彼等の文化は紀元前2世紀に興り、350~650年頃最盛期を迎え、8世紀頃謎の滅亡を遂げたらしい。実はティオティワカンと言う名前も、後から訪れたアステカ人が名付けた名前であり、遺跡で使用される名称もアステカ人が名付けたものを使用している。即ち本当の所は何も解っていないと言って良い。

イメージ 2


(太陽のピラミッドに登った)
 また、王墓であれ神殿であれ、巨大な施設であったエジプトのピラミッドと大きく異なるところは、メキシコのピラミッドは都市国家の一部であると言う事。此処ティオティワカンも太陽と月の二つの巨大なピラミッドや複数存在する神殿跡の他最盛期には20万人もの人々が暮らしていた巨大な都市だったと言う。その当時欧州で巨大都市と言えばビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が挙げられるが、それでも2万人と言うから、どれだけ巨大だったかが解る。しかも欧州、アジア等では大河がある場所に文明が興ると言う常識があるが、メキシコのこの地にはそれに当たる大河が無い。

イメージ 1


(太陽のピラミッドからの展望)
 エジプトのピラミッドも然りだが、このピラミッドもまた深い謎に包まれたピラミッドである。