2006エジプト旅行記最終回

 私は最後のフリータイムを使って再び死者の国を訪れた。ピラミッドと同じく自分の足で向かいたかった事と、ツアーでは見れなかった幾つかの葬祭殿があったからだ。早速渡し船でナイルを渡り、群がってくるタクシーと値段交渉をしたのだが、余りにも強気な態度に癇癪を起こし、それなら歩いて向かうから良いと、引き留める彼等を置き去りに私は歩き始めた。

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(ホテルからナイル越しに王家の谷方面を眺める)
途中で私はなんと無謀な事をしたか思い知らされた。遠さでは無い、暑さだ。摂氏50度、暑いと言うのに汗が一滴も出ない。いや出てるのだ。だけど余りの暑さとドライな気候に汗は流れる暇も無く一瞬に蒸発してしまう。持っていた1.5リットルのペットボトルはあれよあれよと言う間に空になってしまった。これでは死者の国に赴く前に自分が死者の仲間入りなんて事になりかねない。正しくミイラ取りがミイラってこの事だ。なんて諦めムードになる頃漸くメムノンの巨像が見えてきた。

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(ラムセス2世葬祭殿)
かのラムセス2世の葬祭殿等幾つかの葬祭殿を巡りエジプト最後の遺跡巡りを自分の足で堪能した。途中泥棒村も覗いて見た。いつから此処に住み着いたのだろう。観光客が来ると、発掘した品だと胡散臭い品々を持って商売する。勿論本物は国外持ち出し禁止なので、下手に買い物すると厄介な事になる。そんな連中の住む村なので泥棒村と誰が言い出したのかそう呼ばれている。

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(ラムセス3世葬祭殿)
帰りは歩きはもう勘弁だし、最早タクシーも見当たらないし困っていたら、泥棒村の村民の足なのか、乗り合いトラックが走っていたので大急ぎでそれを停車させルクソールへの渡し船まで乗っけて行って貰った。渡し船に乗り川面に白いファルーカの帆が揺らめくのを見て、漸く生者の街に戻った思いがした。

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(泥棒村にて)
ホテルに戻るとおば様達が、彼女の言うところ戦利品(お土産)の発表会に夢中になっているところだった。「貴方の戦利品は?」と尋ねられ、「いやこれから勝負に向かうところです。」と応え、彼女達に見送られながら戦場へと向かった。

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先に訪れたルクソール遺跡の土産屋で見つけたチェスに一目惚れしたのだ。チェスの駒がローマ軍とエジプトの神々に敵味方で別れている。歴史上にもあった展開だし、エジプトの旅の記念に持ってこいだったが、遺跡の見学中で時間が無かったので、旅の最後の夜に再び訪問する事を約束していたのだ。

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遺跡に到着すると門前で係員に店員を呼び出させた。闇の向こうからチェスケースを抱えた二人組が現れた。背景にはライトアップされたルクソール神殿、戦いの舞台には持ってこいだ。

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戦いなど大袈裟なと思うかもしれないが、此処は定価の概念が無いイスラームの国、更にその中でも押しが強く灰汁の固まりの様なエジプト人。虚々実々の舌戦が開始された。何度「じゃあもう帰る!」と言って袖を引っ張られた事だろう。アラブの商店で高い買い物をしようものなら、椅子を出されてお茶を出されて、日を跨いでの商談になる事もある。お互い散々怒鳴って、手を大空に挙げて、やっとの事で話が纏まった。お互い散々やり合っても一旦話が纏まれば握手で終わり遺恨は残さず、それがエジプト流。

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こうして私のエジプトの旅は幕を閉じた。出発までの僅かな時間、ゴージャスなホテルのプールサイドでお別れのビールを。

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終わりに

ツタンカーメン王の墓に手向けられた花束のエピソードは私にとってとても感慨深いエピソードでした。エジプトの王墓は殆どが盗掘の被害に遭っています。盗賊達は金銀財宝が目当てであり、其所にあったかもしれない花束なんて木っ端微塵にされてしまった事と思います。

ツタンカーメンの墓は奇跡的にも被害を免れ、更にハワード・カーターと言う考古学者としても人としても立派な方に発掘を受けたからこそ、この美しいエピソードが私達の知る事となったのです。これもまた奇跡的な事。

私も一介の旅人として、ブロガーとして、身につまされる想いがします。旅を通じて見たこと、感じた事をしっかりと伝えられないと、折角の美しい出来事、風景も、何の意味を成さないものになってしまう事でしょう。これからも一度でも多く全身全霊を尽くし、旅をして、此処でしっかり伝えたいと願います。

お越しいただき有難うございました。