2006エジプト旅行記15

 エジプトの神殿をたっぷり見た後はナイル川を渡って西岸の死者の世界に赴く。農業地区には僅かばかり緑が広がるがやがて砂一色の荒野となり、メムノンの巨像が門番の様に死者の世界への入り口で我々を出迎えてくれる。ナイル川を三途の川だとすれば、メムノンの巨像はさしづめ閻魔様と言うところか。

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 そこからの広野に様々な王様の葬祭殿が点在する。過去にテロ事件が起きたハトシェプスト女王の葬祭殿も此処になる。今も厳重な警戒体制が引かれていた。

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 そんな葬祭殿のある地域から、更に荒れ山を越えた場所に王家の谷が存在する。様々な仕掛けを施したピラミッドですら盗掘を防ぐ事は出来なかった。エジプト王家はピラミッド建造を諦め、人里離れたこんな場所にひっそりと埋葬する事となったと言う説がある。

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 王家の谷では幾つかの王墓を見学出来るが、その中でも最も有名なのがツタンカーメンの墓だろう。ツタンカーメンは病弱で若くして亡くなった王であり、その為規模も小さく、文献も少なかった事が幸いして盗掘の被害に合う事無く、殆ど無傷のまま発掘されて世を賑わせた。

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 また発掘を指示したパトロンのカーナボン卿や関わった人物が相次いで亡くなった為、ファラオの呪いだと言う噂でも世を賑わせた。

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 外見こそ地味な墓の内部に入れば、ずっと地下に埋もれていた為彩色も落ちる事無く、3先年の時が経った等嘘の様な世界が其処にあった。

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 ツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーター氏が発掘した際に、一番彼の心を打ったものとは、続々と発掘される金銀財宝等では無く、ツタンカーメンの棺の上に置かれていた、今となってはドライフラワーとなった花束だったと言う。

 病弱だった少年王に寄り添った彼の妻が、彼の死を悼んで棺の上に飾ったのだろうか?三千年を経て、今も残る愛情の印、この逸話を知って私は彼の墓前で目頭が熱くなった。彼のマスクは遺産保護の為考古学博物館に保存されたが、彼自身は厳重な警護を受けて今も此処に眠っている。

ツタンカーメンよ。どうか安らかに。