2006エジプト旅行記11

 我々が危険なサハラ砂漠を渡って訪れた理由はたった一つ、アブ・シンベル神殿を見るが為だ。

 エジプトも此処まで南下すると最早スーダンの国境に近く、エジプト北部のアラビア人と異なる、ブラックアフリカに近いヌビア人の暮らす地域だ。これは昔も変わりはなく、エジプト王朝は領土の安定の為、ヌビア人と戦いこの地を支配した。その支配に先だって偉大なる王を知らしめると同時にエジプト王朝が崇拝する太陽神を崇める為、この地に巨大な神殿を築いたのだ。築いた人物は言うまでも無い、かのラムセス2世だ。それにしてもラムセス2世は自己顕示欲も強かったのか、自分の巨大な像を4体も並べて建ててしまっている。

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 この神殿は勿論それ自体も素晴らしいのだが、とある危機がこの神殿を世界的に有名にする事となった。アスワン・ハイ・ダムの建造だ。エジプトは言うまでも無く砂漠の国で、しかもナイル川は歴史的に見ても大氾濫を繰り返す暴れ川であり、市民の生活を安定させる為ダムの建設は不可避であった。しかしダムの建設によって、ヌビアの地に点在する数々の遺跡が水没してしまう。

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 この事実が世界を動かした。今後に残したい遺産を世界が救おう!と。こうして日本を含む世界各国が巨大な費用と、技術力を結集し、アブ・シンベル神殿等主要遺跡の引っ越しが行われたのだ。この機運を継続させようと制定された条約こそ今日の世界遺産条約なのだ。ある意味世界遺産の産みの親的遺跡、それがアブ・シンベル神殿だ。

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 そしてこの神殿の仕組みには、エジプト王朝が建築技術だけでは無く天文学にも秀でていた事を示す仕掛けが残されている。年に二回、神殿の内部に太陽光が届き、内部の4つの神の像のうち、冥界の神の像以外を照らす仕掛けになっている。しかもその二日は、ラムセス2世の誕生日(2月22日)と王に就任した日付(10月22日)と言うこだわり様。しかし残念ながら移築の際その日付はずれてしまったと言う。過去の技術の方が正確だったと言う事か?

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 世界で様々な遺跡を見てきたが、何処にも共通する事が、天文学の優秀さっだった。メキシコのピラミッドは春分秋分の日に蛇の紋様が現れる。アンコールワットは春・秋分の日に中央の塔の真上から太陽が昇る。太古の文明は何処も、取り分け春秋分の日にこだわった。それは、その両日を把握する事で、農耕の時期を見定め、そえに従った農家は王様に従っていれば実りがあると、その王朝に従い、王国は繁栄した。つまり王朝の繁栄に天文学は不可欠な要素だったのだ。

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 遥か昔の知恵に舌を巻く。ナセル湖に昇る朝日が何より美しかった。