2006エジプト旅行記9

 カイロ滞在最後の短い自由時間を使って、私はもう一度ピラミッドを訪れた。自分の気に入ったスポットはガイドにキチンと説明を受けた後に、もう一度自分の目でじっくりと味わいたい。それと、自分の足で其処へ向かいたかったのだ。

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 ピラミッドへ行く道中、再び警官に話しかけられる。行き着く会話は必ずお小遣い頂戴!勘弁してくれと笑いながら交わしつつ、ピラミッド直前ではいかにも胡散臭い人物が

「今日は突然の理由でゲートは閉鎖された。此方からなら入れるので案内しよう!」

 と申し出てくる。インドでも常套手段の手口だ。勝手の知らない旅人に危険を喚起し、親切を装ってボッタクル。

「ご親切にありがとう!自分には目があるから自分で確かめる。自分には足があるから駱駝はいらないよ!」

 そのまま進めば何の問題もなくピラミッドに入場出来た。ツアーでは最大のクフ王のピラミッドへ入場したので今回は次に大きいカフラー王のピラミッド内部に入った。観光客が圧倒的に少ない分探検家気分が盛り上がった。

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 スフィンクスの前にてピラミッドに別れを告げる。スフィンクスは謎好きで多くの旅人を悩ませた伝説が残る。子供の頃は4本足、大人になると2本足、老いれば3本足になる動物は何か?と言う謎は有名である。そんなスフィンクスを見上げながらその謎に挑む。

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 スフィンクスはこの形以外にも動物の面をしたもの等神殿の門前に構えている事が多い。王墓や神殿の前に立ちはだかっている。即ち守護獣だったのだろう。そう考えた時閃いた。

スフィンクス君、私が推測するに貴方の正体は狛犬の御先祖様だったのだね?」

「良いポイントに気がついたね!」

 スフィンクスが微笑んでくれた様な気がした。私の推測は決して荒唐無稽な推測では無い。三猿もエジプトが起源で日本にそれが伝わったし、イランのペルセポリスに彫られた怪鳥は中国に伝わって鳳凰になった。東西は遥か太古から繋がっており、文化は行き来していたのだ。

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(ダマスカスで見つけた三猿)
 東西では驚く程価値観を共通する思考がある。例えば冥土の世界観。ギリシャ神話でも日本でも地獄に行くには川を渡る事、地獄の門番が存在する事は共通している。エジプトのピラミッド以降の王家の墓が残るルクソールでも王家の谷はナイルを西に渡り、王家が眠る墓地の手前にメムノンの巨像が立ちはだかる。ナイル川を三途の川に例えるなら、スフィンクスが王家の墓であるピラミッドを守護した生物だったと考えてもおかしくない。

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 一方ピラミッドが神殿だったとしたら、神殿を守護する為威厳ある生物を守護獣として門前に配置すると言う考え方が地域、宗教を超越して各地に広まり、そして各地に実在する生物にその姿を変えていったのだろう。日本で言えば、それが狛犬にあたるのである。如何であろうか?

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(ナイルエキスプレス)
 ギザの三大ピラミッド。最後のメンカフラー王のピラミッドは前者の二つより明らかに小さい。しかし功績的に劣る様な王様では無かったと言う。なら何故小さなピラミッドになったのか?経済的理由か?政治的なものか?それとも自然災害か?理由は不明だがそれ以降ピラミッドは作られる事は無かった。

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 そしてそれ以降のエジプトの歴史を追うべく、我々ツアー一向は寝台特急ナイル・エクスプレスに乗って一路南へとひた走ったのだった。