2006エジプト旅行記4

 ピラミッド見学を終え、エジプトに来た実感を満喫したら、そのタイミングで考古学博物館に向かおう。何故ならエジプトのテンションが上がってる、その瞬間こそその遺産の価値や雰囲気を存分に味わえる瞬間だからだ。

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私は世界の様々な遺産は、オリジナルの場所にあってこそ、その本領が発揮されると思うが、盗難や破壊等の危険がある場合は本来の場所に極力近い場所の博物館に保存すべきだと思う。エジプトの考古学博物館には貴重な遺産の数々が保存されているが、残念な事にその内の多くがイギリスに奪取され大英博物館に移されてしまった。

大英博物館の貴重な展示品のその殆どがエジプトとギリシャから持ち込まれた物で、それらを抜かすと大英博物館は然程の価値は無い。そもそもイギリスに旅をして、エジプトの遺産を見たとしてもテンションは然程上がらない。やっぱり遺産はそのオリジナルの国にあってこそなのだ。

そんな中でもエジプト考古学博物館程テンションの上がる博物館は他にあるだろうか?数ある貴重品の中でもダントツはやはりツタンカーメンのマスク。思わずガン見し、暫しその美しさに身動きが出来なかった。本当にこれが3000年も前のものなのだろうか?

博物館のもう一つの目玉はエクストラ料金を支払い入場するミイラ館。その中でも一際有名なのがラムセス2世のミイラだ。当時のエジプト人の平均身長は約160㎝だったと言うが彼は180㎝もあったと言う。また当時の平均寿命は60歳程だったそうだが彼は90歳近くまで生きたそうだ。偉大なる建築王はその容姿も堂々とし、大往生を遂げた人物であった。

博物館を見終え我々が向かったのは、カイロ市街を一望できる小高い丘に聳える城郭に築かれたカイロのシンボルとも言えるムハンマド・アリ・モスクだ。鉛筆の様なミナレット、半円状の大きなドーム… 何処かで見た様式ではないだろうか?

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そう、トルコ様式のモスクだ。長いエジプトの歴史の中で、第二次世界大戦前、イギリスの植民地になる前はエジプトはオスマントルコ帝国の領土であった。その為、その時代に築かれたモスクはトルコ様式で建てられたのだ。

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幻想的なモスクの礼拝室の雰囲気と、モスク前から眺めるカイロの展望を楽しみ、我々は次なる目的地ハンハリーリ・バザールへと向かった。上記の考古学博物館、ムハンマド・アリ・モスク、そしてこれから向かうハン・ハリーリ・バザールは一般的なエジプトツアーのカイロ市内観光の三点セットだ。逆に言えばこの三点セットだけで済ませてアスワンやルクソールに移動してしまう。長い休暇を取り難い日本のツアーでは、致し方無い日程であるが、それでは余りにも勿体無い。

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幸い今回のツアーは高齢者向けに日程がスカスカなので、バザール観光の後は自由時間だ。私はバザール到着したら私をその場に捨てて行って欲しい事、そして夕方開催のナイル川クルーズの時落ち合ってピックアップしてくれる事を約束して、まるで水を得た魚の様にバザールへ飛び込んだ。