2006エジプト旅行記3

 ピラミッドは謎多き遺跡だ。王墓として建造されたとされているが、それも定かな事では無いし、建造方法も推測の段階、ヘロドトスの記述から奴隷労働によって建造されたと今まで思われていたが、最近の研究で雇用対策も含めた列記とした仕事として建造されたのではないか?との見方も提唱されている。

 そんなピラミッドの謎に少しでも触れる為、ギザだけでは無く郊外にも点在するピラミッドに向かった。途中メンフィスと言う街に保存されているラムセス2世の像を見学した。ラムセス2世はピラミッド時代より新しい時代のファラオであるが、エジプトを旅する上で知らないでは済まされない重要人物だ。インドのタージ・マハールを築いたシャー・ジャハーンがムガル帝国の建築王だとしたら、ラムセス2世はエジプトの建築王。旅の途中、幾度も彼の痕跡と遭遇する筈だ。

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 歩みを進めてサッカーラにある、一番初期に作られたジョセル王のピラミッドに到着した。高さ60団貶妝隠苅亜滷隠横賢叩▲フ王の高さ146叩底辺230×230辰鮓てしまった後だと小さく感じてしまうが、それでも立派なピラミッドだ。ピラミッドも最初は四角錐では無く、階段状となっておりピラミッドの原型はこれが進化した姿だった事が解る。

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 続いてツアーはダフジュールに建つ屈折ピラミッドと赤のピラミッドを訪れた。屈折ピラミッドが何故屈折してしまったかは、これまた幾つか説が別れるが、少なくとも建造中某かの理由で角度を変えざる得なくなってしまったピラミッドだ。

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 赤のピラミッドに至っては完成形であるギザの三大ピラミッドにほぼ近い形状となっているが、傾斜が緩く断面は正三角形では無く二等辺三角形である。

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 私の推測ではこうだ。製作者は出来るだけ背の高いピラミッドを作ろうとしたが、途中でこのまま積み上げたら、強度的に足りない事が判明した。仕方無く途中で傾斜角を緩やかなものに変更し完成に至った。赤のピラミッドでは前回の失敗を考慮して最初から安全策の緩い傾斜角でピラミッド建造が進められた。そしてそれらの経験を元に完璧な正三角錐のピラミッドへの挑戦が開始されるのだ。

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(ジョセル王のピラミッド付近で発掘作業が行われていた。)
 これも私も推測だが、やはりピラミッドは王墓だったのではないか。初めて築かれたジョセル王のピラミッドは段々状だった。人が亡くなった時、盛り土を施して墓にする。そんな古代の人々の風習の巨大版こそ階段上の盛り土であり、それが後世更に豪華なものへとなってギザのピラミッドとなったのでは無いか。

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 更に古代エジプトは太陽神を信仰しており、生者はナイル川の東に住み、死者は西に住むと言う考え方があった。(これはインドのガンジス川でも同様の考え方があり非常に興味深い。)だからエジプトでは人々が神に祈る神殿はナイル東岸にあり、葬祭殿は西にある。そしてピラミッドも全て西に存在するのだ。

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 そして何よりも私が感動した事。まるで宇宙人が作ったかの様な完璧なピラミッドも、実は古代の人々の何度も失敗を重ねたり、試行錯誤の末の作品だったと解った事。

 ヘロドトス

「エジプトはナイルの賜物だ。」

 と名言を残したが、私は言おう。

「ピラミッドは努力の賜物だ!」