ブルネイ旅行記7

 再び街に戻ればブルネイ川にはミズスマシの様にモーターボートが行き交い人々を水上集落へと導いている。街で働いたり買い物を済ませた人々が彼等の戻るべく場所へと戻っていく。

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 水上集落は一見驚きの目で見てしまうが、実は良く良く考えてみれば、以前ならそちらの方がずっと効率的な生活だったのかもしれない。何故なら昔は自動車は無い。人々の移動、荷物の運搬に陸上を使うより水上を船で移動する方が便利だった筈だ。

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(朝市のオバチャンの屋台)
 私の故郷東京下町も、現在でこそ殆ど埋め立てられてしまったものの、隅田川と荒川の間には碁盤目の様に運河が張り巡らされ、人々の間で利用されてきた。ならばわざわざ運河を張り巡らせるくらいなら、水上に街を作ってしまうと言うのもなるほど合点が行く発想だ。

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(水上ガソリンスタンド)
残された時間、もう慌てる事は何一つ無い。その時間を私は全てオールド・モスク前で過ごす事にした。夕暮れの刻々と色を変えていく時間帯、私の大好きな一瞬をモスク前で過ごした。刻一刻と空に青みが増していき、モスクが黄金色に輝き始める。

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(大きな建物は学校)
 東南アジアで一番敬虔なイスラームの国、ブルネイ・ダルサラーム(永遠に平和なブルネイ)には、その言葉に違わぬ人々が暮らしていた。

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 元々人口が少ない上に、人々は広大な水上をボートで移動するから、陸上の交通に渋滞は有り得ない。(日々通勤に、車に乗れば大渋滞、電車に乗れば鮨詰めの満員電車に体力も心も磨り減らされイライラしてばかりの日本人にとって、ブルネイの水上集落はまるでユートピアに感じた。)そしてゆとりがあるから歩行者が信号待ちをする事無く車が譲ってくれる。(ヨーロッパならともかくアジアでは非常に珍しい。日本でさえ昨今酷い状況でもある。)

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 エコツアーをガイドしてくれた少女はチップと言う習慣にすら慣れておらず、私は彼女を少し驚かせてしまう結果となった。そうしたところも昨今の東南アジアとは一線を画す。それは豊かな資源と穏やかな気質の東南アジアと言う立地、そして喜捨精神溢れるイスラームの教えが合わさってこそ出来たもの。

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 確かに街は小さく見所も限られる。しかし私は見所スタンプラリーの様な旅は好きでは無い。その場に溶け込み、その場に浸り、人々の息遣いや歴史に寄り添って、その世界観を堪能したい。そう感じたなら、水上集落は世界で無二の訪問地であった。

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 ドバイやカタール等石油産油国が、石油の枯渇後を見込み、観光や金融に大規模な投資を施し、大規模な都市造りと運営が進んでいる。隣国の小国シンガポールは以前からそれらに着手し、実績を積み上げ、東南アジアの貿易、観光、空路のハブとして君臨している。

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 同じ様な豊かで小さな国であるブルネイではあるが、今のところ主だった動きは見られない。しかしブルネイが第二のドバイやシンガポールの様になってしまうのはとても寂しい事だと思う。

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 もしブルネイが狭い陸地に街を築き、其処に人々が暮らしていたら、周囲と変わらず車と人がごった返す慌ただしい東南アジアの町並みになっていたに違いない。喩え地下資源が豊富で資産豊かな国であっても、高層ビルのジャングルの様な国作りをしてしまえば、世話しない、何処にでもある豊かな国で終わっていた筈だ。

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 水上で暮らし、移動は水上、そんな彼等が頑なに守ってきた伝統が、現代の社会になっても、奇跡的にゆとりあるスペースを保たせ、結果ゆとりある暖かな雰囲気作りに貢献してきたのだ。彼等が豊かである事は、ただ単に資源を持っていたからでは無く、伝統を守っていたからに違いない。

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 水上集落いつまでも!ブルネイ・ダルサラーム(ブルネイよ!いつまでも平和であれ!)

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 さて、ブルネイの訪問も終わり、後は香港のでのトランジットを待つのみとなった。次回からはその香港を紹介したい。