ブルネイ旅行記3
朝イチで朝市に東南アジアの雰囲気に浸りに行った。裕福な国とは言え、市には東南アジアらしさが溢れている。
そこで一軒のナシチャンプルの屋台に入った。ナシとは「ご飯」チャンプルは「混ぜる」即ち混ぜご飯。野菜や肉、揚げ物まで付いて約70円。思わず滞在中行きつけの朝食屋となった。(因みにミーは麺、ゴレンは炒めるなので、ミーゴレンは焼きそば、ナシゴレンはチャーハンを指す。)
朝食を摂ったら街の中心を目指した。とは言っても小さな街、あっという間だ。東南アジアらしからぬ整然とした街並みには驚くほど人通りが少ない。皆何処へ行ってしまったのか?人口も少ないので王様がポケットマネーで市民に贈ったショッピングモール・ヤヤサンコンプレックスも少々持て余し気味だ。
(ヤヤサン・コンプレックスとオールドモスク)
ブルネイ川の向こうには黄金のドームを携えたイスタナ・ヌルル・イマン(王宮)が見える。マイケル・ジャクソンを招待してプライベートライブを行って貰ったとか、ヴァチカン宮殿を凌ぐ世界一の宮殿とも言われている。国王はビル・ゲイツにトップの座を譲ったものの、今でも世界の長者番付にランクインしているとの事。毎年ラマダンの終わりには、王宮は一般公開され、市民には喜捨が大盤振る舞いされるそうだ。
(水路の向こうに王宮)
そうこうしているうちに目的のオマール・アリ・サイフディン・モスクに到着した。国王の父が建てたモスクで、現国王も郊外にモスクを建てた事からオールド・モスクと呼ばれている。
荘厳なモスクの前庭には大きな湖があり、そこに王室の御座船が浮かんでおり、嘗て海のシルクロードの中継貿易で潤った王国の繁栄が偲ばれる。
モスクからそう離れていない場所に建つロイヤルレガリアはブルネイの歴史や宝物を展示した博物館。嘗てフィリピンからインドネシア迄広がった王国の勢力圏、そして今日の栄光迄の奇跡が展示されている。
街の中心を抜けて郊外にトボトボ歩いて現国王が建てたジャメ・アスル・ハッサナル・ボルキア・モスクに向かった。
街の中心のオールド・モスクに対して此方はニュー・モスクと呼ばれている。東南アジアのモスクは最近は前衛的なデザインの建築が増えたが、ブルネイでは新旧双方伝統的なデザインで建造されている。
モスクを眺めていると、東南アジアに居ながらにして、ふとアラビアンナイトの世界に紛れ込んだかの様な錯覚に陥った。そう!嘗て此処はかのシンドバッドも活躍していたかもしれない、海のシルクロードの真っ只中だったのだ。