泪橋~忘却の街~

 先日仕事の関係で私は東京都荒川区清川町へ出向いた。目的地の近くにある交差点の名前を確認し、感嘆の声をあげた。「泪橋」私と同年代の男子なら同じ感情を抱くだろう。そう!あしたのジョーで矢吹ジョーが通ったジム、丹下拳闘クラブがあった場所だ。

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歴史好きとしても由緒ある場所でもある。江戸時代、此処は日光街道から江戸に入る最初の宿場町であり、また、街の外れと言う立地上、処刑場や遊廓等所謂嫌悪施設が此処に集まった。勿論処刑場は今は無いが、遊廓吉原は今もこの地域に隣接した場所で健在している。

泪橋の泪の謂れは此処で旅人が別れを惜しみ流した涙とか、処刑場で首を切られる運命の旅人が、この世の別れに流した涙、吉原遊廓に売られて行った遊女が流した涙だと言われる。しかし現在は橋どころか川も姿を消し交差点名にその名残を残すのみだ。

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(最早川も無ければ橋もない、交差点の名に泪橋と残るだけ)
そしてもう一つ、そこは大阪の愛隣地区と並ぶドヤ街、山谷と呼ばれる地域であると言う事。(ドヤはヤドの逆さま、即ち宿街でドヤ街)街には至る所に素泊まりで格安に泊まれる宿泊所が建ち並んでいる。(勿論ルーツは江戸時代の宿場町。)路地裏に入ると、そこら中で朝からワンカップを手にした老人達が立ち小便をしていた。

大通りから一歩裏手には商店街が残っていたが、それはもうシャッター商店街と呼んで良い。中には個人経営のパチンコ店の看板もあり、見上げればスカイツリーが見える其処一画だけ昭和に取り残されてしまったかの様な不思議な光景が其処に広がっていた。

いや、取り残されたのは風景だけでは無く、そこに暮らす人々もまた、取り残されてしまった人々だ。此処は上野に近い。上野は昔、東北から上京してきた人々にとって終着駅だった。未だ戦後と呼ばれた時代、東北地方は貧しく、中学を卒業した学生達が集団で就職先を求めて東京にやって来た。

戦後の東京復興、そして高度成長期に於ける人手不足を補う為、そんな東北から上京してきた学生達は金の卵と持て囃された。そうして金の卵と呼ばれた彼等が縁の下の力持ちとなって日本の高度成長期を支えてきた。そんな中、日雇い労働者達が低賃金で宿泊させるこの場所に宿が集中していた為、日雇い労働者の街として山谷は賑わっていく。


あしたのジョー」はそんな時代のこの街を舞台に、不良少年矢吹が、これ又過去に傷を持つボクシングトレーナー丹下段平にボクシングの資質を見出だされ、世界チャンピオンに挑戦する迄の成長を描いたドラマだ。

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「この橋はなぁ。人呼んで泪橋と言う。
いわく…人生に破れ、生活に疲れ果ててドヤ街に流れてきた人間達が涙で渡る哀しい橋だからよ。
三年ほど前のわしもそうだった。
おめえもその1人だったはずだ…
だが今度はわしとおまえでこの泪橋を逆に渡り、あしたの栄光目指して第一歩を踏み出したいと思う。
わかるか?わしの言うてる意味が…
ああ?わしのいうてる意味がわかるかよジョー!」
by丹下段平

しかしその山谷も時代と共に高齢化し、今では日雇い労働者の街と言うより、身寄りの無い高齢者の街と言った風情が強い。昭和には矢吹ジョーのモデルになったとしてもおかしくない様なヤンチャ達が蔓延っていただろう路地裏も、今となっては行き来するのは老人ばかりだ。そして誰もがとても綺麗とは言えない身なり、そして外見も多分、他の地域の同年代よりずっと老けて見える。

そんな街の定食屋で昼飯を食べた。東京にしては格安な料金設定、何処か昭和を思わせる懐かしい店内では、老人が昼間から酒を煽り武勇伝を語り続けていた。

昼食後仕事を開始すれば、ワンカップ片手の親父が語りかけてきた。勿論内容は武勇伝。遠い空を眺め過去の栄光を口にする時だけ、濁った彼の目は輝いていた。この街では思い出だけが生き生きと漂っていた。

そんなこの街にも新しい風が吹き込んでいる。観光地浅草に近く、東京にアクセスが容易な上、物価がとても安い事、元々日雇い様の低賃金の宿泊施設が多かった事等から、海外から日本に訪れるバックパッカー向けのゲストハウスが外国人観光客の人気となっている。通りで老人達の風景に、時おり場違いな外国人バックパッカーがでかいリュックを背負って通り過ぎていく。

街の掲示板を眺めハッとなった。野良猫に虚勢手術を施した事が告げられたいた。この街も十年後には猫の住まない、住めない街になるのだろう。いや、東京の高度成長期を縁の下から支えてきた彼等も、彼等が辿り着いたこの街も、後十年したら、実体も、そして人々の記憶からも消滅し、全く違った街へと変貌してしまうのかもしれない。

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見上げればこの街には余りにも不釣り合いなスカイツリーが聳え立つ。一方先進国、日本を夢見てボランティアを学びに訪れたベトナムの少女がこの街を訪れて語った話が忘れられない。

「先進国である日本に、こんなに見捨てられた存在、しかも年老いた人々がいるなんて夢にも思わなかった。」

仕事を終え、帰宅する電車に乗り込めば、まるでタイムマシーンに乗ったかの様に現実の世界に戻されていた。最後に山谷を訪れたマザー・テレサの言葉を紹介したい。

この世で最も貧しいことは、飢えて食べられないことではなく、社会から捨てられ、自分なんてこの世に生まれてくる必要がない人間であると思うことです。

その孤独感こそが、最大の貧困なのです。

日本にもたくさんの貧しい人たちがいます。

それは、自分なんて必要とされていないと思っている人たちのことです。

泪橋…私には高度成長期を支えつつも、それが終れば、捨て駒にされ、忘れ去られていく彼等の流した涙の様な気がしてならない。

後記)違う見方をするなら、此処に暮らす事が出来ている老人達は、見捨てられた存在の中では勝ち組でもあるのかもしれない。何故なら、此処にさえ住めなくなってしまった人々は、逆の意味で泪橋を逆に渡り、東京の様々な場所でホームレスとして生きていくしか無いのだから…