風に吹かれて~ザンジバル旅行記4

? ザンジバル、ストーンタウンに繁栄をもたらせたもの、それは大陸からもたらされる象牙と、この島の気候を利用して栽培される様々なスパイス、特にクローブ(?丁子)だった。故にザンジバルはスパイスアイランドとも呼ばれる。

 ザンジバルを統治したオマーン王国はこの島を日本の長崎の出島の様にアフリカ大陸から集積される交易品をザンジバルに集約し、東アフリカの貿易を一手に担う事で大繁栄を勝ち取った。しかしスパイスの栽培は、この島に栄光をもたらすと共に悲劇をももたらせた。栽培に必要な大人数の労働力確保を始めとする奴隷貿易の拡大である。

イメージ 4



 ザンジバルの対岸、タンザニアの大陸側にバガモヨと呼ばれる街がある。日本人にはノホホンと聞こえる呼び名だが、実は

「我が心、此処に(故郷に)置いていく!」

 と言う意味なのだ。大陸で捕まって奴隷として売られていく黒人達が大陸を離れザンジバルへ運ばれる直前に故郷を引き離される悲痛な想いで残した叫び声が地名となって残されたのだ。そして彼等はザンジバルから世界中にスパイスと同様売られていったのである。此処ザンジバルには至るところにその名残を示す場所が残されている。

イメージ 1



 しかしザンジバルは売られていっただけでは無く、売られてきた島でもある。それは「からゆきさん」遠い過去、未だ貧しい時代の日本人女性達だ。彼女達は貧しい家柄の娘達。家計を助けられる良い仕事があると、半ば騙される様な形で異国で体を売ることを強要された女性達。

 多くは東南アジアが主体だったが、こんな遠い場所にも彼女達は送られてきたのだ。アフリカに未だ日本の領事館さえ無い時代だ。私は彼女達が働いていたと言う建物に地図も無く辿り着いた。まるで呼び寄せられたかの様に。

イメージ 2



 今でさえ日本人の多くがその正確な位置さえ知らないザンジバルと言う島。当然言葉さえままならなかっただろう彼女達はどれほど辛い想いをした事だろう。それでも彼女達は家族の為に必死に働き日本の家族に送金を続けた。しかし彼女達の本当の悲劇は、日本が豊かになって、彼女達が務めを終え、日本に帰国が叶ってからだと言う。

 からゆきさんの中には日本帰国が叶った人達もいた。しかしその頃にはかなりの年配で当然彼女達の両親は既に他界、彼女達を迎えたのは親戚筋にあたった人々だったが、彼等は彼女達が外国で体を売っていたと言う事実から、彼女達をまるで汚いものを障るかの様に扱い、それで心が折れて自殺を選んでしまうからゆきさんも多かったと聞く。そして国さえも彼女達をまるで貧しい時代の汚点の如く歴史から葬り去ろうとしている。

 しかし国の権力がどうあろうとも人々が紡いできた文化、人々が辿ってきた人生、想い、それらは決して消え去るものでは無い。私はこれまで数多くの旅先でからゆきさん達の足跡に遭遇してきた。私達旅人が現地を訪れ記憶に残し、そして伝える事で人々の想いは国の力を超越して繋がっていく。

イメージ 3



 彼女達が暮らした建物は今ではなんの変哲も無い地元の人々の住居となっている。彼女達は悲劇的な運命に翻弄されながらも、この街では地元の人に愛されながら暮らしていたと言う。以来私は滞在中幾度もこの建物の前を通ったが、ある時子供達が輪になってハンカチ落とし?はたまたカゴメカゴメ?の様な遊びに興じていた。

もしかしてこれは、からゆきさん達がおしえたのだろうか?

そう言えば、カゴメカゴメの不思議な歌詞は一説に遊女達の悲哀を歌った歌だと言う説がある

からゆきさん!お疲れさまでした!ご苦労様でした!貴女達の苦労の末、日本は豊かな国になりました。私の様な者が、趣味でこんな遠い島に訪れる事ができる時代になりました。私達は貴女達を忘れません。この美しい島でゆっくりと眠ってください。

汗では無い熱いものが頬を伝った。