連載の途中ですが

ミャンマー旅行記連載の途中ですが、今回はシリアで起きた人質事件の事に触れたいと思います。今回の事件では政府の数々の判断ミス?により最悪の結果となってしまいました。

まず一番悔やまれるのは、どんな事件でも解決するのに大切なポイントとなる初動で大きく出遅れた事です。

この事件は今年に入って大きく取り上げられましたが、湯川さんが拘束されたのは2か月前、つまり日本では選挙直前。こんな事件が起きると選挙にマイナスなイメージを与えると政府は事件を黙殺し隠蔽してしまいました。

勿論テロリストの要求には応じない事は原則とはいえ、この頃では身代金も低額で、人道保護の観点から欧州各国も低額のうちに妥協を図る事は多く、この時点で解決できていれば、小さな事件で済んでいた可能性が高いのです。

しかしそんな訳があり政府が動かないことに業を煮やした後藤さんは単身湯川さん救出にシリアへ向かい逆に拘束されてしまいました。二次被害ですよね。

ただこの時点では未だ犯人にとって日本人人質はたいした価値は無かったのです。しかし安倍総理が中東のイスラム国に敵対する国々を訪問し、巨額な援助金をばらまいた事から、敵にとって人質は急に価値を帯びはじめてしまいました。ここで事件は突然大きくなるのです。

その後政府は交渉国としてヨルダンを選びますが、これも大きな過ちでした。何故ならヨルダンはアメリカと歩調を揃えるイスラム国と敵対する関係、そしてアメリカは人質の交渉はしないと言うスタンス。

結局日本がヨルダンに交渉を求めた事で、ヨルダンの立場も危うくし、交渉自体も難しいものにしてしまいました。

この場合アメリカと足並みを揃えず中立の立場を貫くトルコを頼るべきでしたが、人質の人命よりアメリカの顔色を窺う事が優先されてしまったのでしょう。

さて国内ではどんな動きがあったでしょう。政府の取り巻き達が政府の責任を問われるのを恐れる余り、毎度の如く自己責任論を高々と掲げ、更には被害者の経歴を根掘り葉掘り取り上げ攻撃し、あたかも「こんな人物助ける必要なし」的な論調をネットに拡散、それは被害者家族にまで及びました。

山で遭難した登山者が、救助を要請するのに彼の経歴は必要でしょうか?救急車を呼ぶのに前科があってはいけないのでしょうか?先進国ではテロリストに誘拐された被害者家族を支援するシステムができていると言うのに日本では被害者とその家族が心ない言葉を浴びせられる。とても恥ずかしい国だと思います。

こうして事件は最悪の結果で解決となりました。敵は今後も日本をターゲットにすると脅しをかけています。ネット上では手のひらを返した様に後藤さんを美談化しています。白々しいですね。

さて事件は本当にこれで終わったのでしょうか?安倍さんは本当に判断ミスの連続だったのでしょうか?

人質がいるあのタイミングにわざと敵対関係にある国を訪問し援助を行う。そして中東戦争時はあのアメリカでさえアラブを配慮し行動を共にしなかったイスラエルで強気の発言をした。正に人質に死んでくれ!と言わんばかりに。

自民党に反する野党は皆これを槍玉に安倍政権の判断ミスを指摘しています。本当にこれは判断ミスだったのでしょうか?いやわざと見殺しにした。いや人質が殺される様に仕向けたとは考えられないでしょうか?

テロリストは犯行後日本をターゲットにすると日本を脅迫しました。

日本はテロリストの恐怖に晒されている。日本はテロに対して集団自衛権を持たねばならない。自衛隊を強化しなければならない。憲法を改正しなければならない。9条を改正しなければならない。・・・

自ら目指す憲法改正と軍国化に、国民がテロに怯え、そして怒りに震えている今、これほど持ってこいな材料とタイミングは他にありませんね。

だとすると湯川さんと後藤さんは最初から生け贄だったのでしょうか?

今正に国民は問われているのだと思います。政治家の思うがままに、テロの恐怖に怯え、またはその怒りから、安易に軍国化の道に進むのか?冷静に構えてこれまでの日本の姿勢を貫くのか?

人間は感情が先に立つ動物です。しかし悲しみや怒りを拳に込めても、それは虚しい結果しか生まない事は歴史が証明しています。

此処にガンジーが残した言葉を残します。

握り拳では握手は出来ない

最期になりましたが、二名のご冥福を心からお祈りします。