旧ユーゴスラビアを旅する完全版+スロヴェニア・リュブリャーナとその郊外編
スロヴェニアの三日目が訪れた。リュブリャーナの天気は相変わらず曇りだ。どうやら私と相性が悪いらしい。これでは湖見学はつまらないのでブレッド湖見学はスロヴェニア滞在最終日の明日へ持ち越しだ。
と言う訳で曇りの中リュブリャーナで未だ訪れていないリュブリャーナ城を見学した。小高い丘の上に建つリュブリャーナ城、曇ってしまっているので見張らしは少々残念だが、それでもリュブリャーナが一望できる事には変わりない。
海沿いの街ピランは明らかにヴェネチアの影響を受けた街だったが、内陸部にあるリュブリャーナは明白にヴェネチアの影響は微塵も無い。オーストリア帝国に支配されていたから、オーストリアの影響が強いがドイツの影響も感じる。
街の中心は城の袂にリュブリャーナ川の流れに三本の纏まった橋がある部分、プレシェーノフ広場がある部分だ。街の規模は一国の首都としてはかなり小さく、建物も可愛らしく感じるものが多い。
(シェコフヤ・ロカのカプチン橋)
街を一回りした後、バスに乗って郊外にある二つの街を散策した。先ず最初に訪れたのはシェコフヤ・ロカ。神聖ローマ帝国の皇帝オットー1世が司教シェコフに土地を与えたのが名の由来なのだそうだ。通りでドイツの影響を色濃く感じる街でもある。
ヨーロッパ最古級と言われるカプチン橋を渡って旧市街へと入る。その先の丘に建つシェコフヤ・ロカ城はやはりドイツの影響を色濃く残し、南欧を旅しているとは思えない。いやバルカン半島を旅してきたから南欧と感じるだけで、スロヴェニアは最早イタリアの隣、すぐ上はオーストリア。いつしか最早南欧とは言えない地域を旅しているのである。
丘を下って対岸の聖十字架教会からシェコフヤ・ロカの展望を楽しみ、次なる街クラニュへと移動した。
(聖十字架教会からの眺め)
クラニュは二つの川が合わさる要衝に築かれた街で古い旧市街が残されている。そんな旧市街を歩き、その直下に流れるこじんまりとした渓流を散策した。
わざわざ訪れる事も無い様な渓流ではあるが、これ程の規模の街の真下にこれ程綺麗な流れがある事に驚いた。スロヴェニアで自然がとても大切にされていると感じた。
その後クラニュ郊外のシュマリェトゥナ・ゴラと舌を噛みそうな名前の山に登った。何て事は無い高尾山程度の山だが、素朴な眺めを楽しむ事が出来た。
リュブリャーナに戻るとようやく空は晴れ間が見えてきた。残された時間リュブリャーナを散策した。街の中心にある三本橋は現在ではどうして三本もあるのか解らないが、歩行者の為に作られたと言うから、昔は中央の橋は王族の為とか限定的な使われ方をしていたのかもしれない。
もうひとつ下流に肉屋の橋と呼ばれる橋がある。近くを見たが肉屋らしきものは無く由来が解らない。何故か今となっては何処にでも見られる恋人達の愛を誓った錠前がぎっしりとかけられている。
そのひとつ下流にある橋は、橋の欄干にドラゴンがいる。ドラゴンはリュブリャーナの紋章にも刻まれた街のシンボルでもある。が、リュブリャーナの守護聖人は聖ゲオルギオスだ。ゲオルギオスはドラゴン退治で有名な聖人だが、倒した相手がシンボルとなっているのはどう言う事だろう?西洋に於けるドラゴンの立ち位置を調べる必要がありそうだ。
夕食は我々日本人から見ると面白いアジアを意識した麺料理のヒュージョン・ファーストフードに入った。日本だけでは無くアジアの麺の種類を選び、トッピングとソースを選ぶ。どれも焼き麺だが、それぞれの組み合わせだからメニューは豊富だ。
明らかに伝統を守ったものでは無くアジア風創作と言うところが面白い。私はうどんに豆腐をトッピングして、順当に行けばソースは照り焼きだったが、此処は敢えてオリエントをチョイスした。中華鍋の実演も好評の様でスロヴェニアの家族連れが楽しそうに眺めていた。味もなるほどである。
アジア好きやアニメを通じた日本ファンの人々も集まる様で、なんとスロヴェニアで柴犬を連れた日本贔屓のお姉さんと出逢い話が弾んだ。
と言う訳で曇りの中リュブリャーナで未だ訪れていないリュブリャーナ城を見学した。小高い丘の上に建つリュブリャーナ城、曇ってしまっているので見張らしは少々残念だが、それでもリュブリャーナが一望できる事には変わりない。
海沿いの街ピランは明らかにヴェネチアの影響を受けた街だったが、内陸部にあるリュブリャーナは明白にヴェネチアの影響は微塵も無い。オーストリア帝国に支配されていたから、オーストリアの影響が強いがドイツの影響も感じる。
街の中心は城の袂にリュブリャーナ川の流れに三本の纏まった橋がある部分、プレシェーノフ広場がある部分だ。街の規模は一国の首都としてはかなり小さく、建物も可愛らしく感じるものが多い。
(シェコフヤ・ロカのカプチン橋)
街を一回りした後、バスに乗って郊外にある二つの街を散策した。先ず最初に訪れたのはシェコフヤ・ロカ。神聖ローマ帝国の皇帝オットー1世が司教シェコフに土地を与えたのが名の由来なのだそうだ。通りでドイツの影響を色濃く感じる街でもある。
ヨーロッパ最古級と言われるカプチン橋を渡って旧市街へと入る。その先の丘に建つシェコフヤ・ロカ城はやはりドイツの影響を色濃く残し、南欧を旅しているとは思えない。いやバルカン半島を旅してきたから南欧と感じるだけで、スロヴェニアは最早イタリアの隣、すぐ上はオーストリア。いつしか最早南欧とは言えない地域を旅しているのである。
丘を下って対岸の聖十字架教会からシェコフヤ・ロカの展望を楽しみ、次なる街クラニュへと移動した。
(聖十字架教会からの眺め)
クラニュは二つの川が合わさる要衝に築かれた街で古い旧市街が残されている。そんな旧市街を歩き、その直下に流れるこじんまりとした渓流を散策した。
わざわざ訪れる事も無い様な渓流ではあるが、これ程の規模の街の真下にこれ程綺麗な流れがある事に驚いた。スロヴェニアで自然がとても大切にされていると感じた。
その後クラニュ郊外のシュマリェトゥナ・ゴラと舌を噛みそうな名前の山に登った。何て事は無い高尾山程度の山だが、素朴な眺めを楽しむ事が出来た。
リュブリャーナに戻るとようやく空は晴れ間が見えてきた。残された時間リュブリャーナを散策した。街の中心にある三本橋は現在ではどうして三本もあるのか解らないが、歩行者の為に作られたと言うから、昔は中央の橋は王族の為とか限定的な使われ方をしていたのかもしれない。
もうひとつ下流に肉屋の橋と呼ばれる橋がある。近くを見たが肉屋らしきものは無く由来が解らない。何故か今となっては何処にでも見られる恋人達の愛を誓った錠前がぎっしりとかけられている。
そのひとつ下流にある橋は、橋の欄干にドラゴンがいる。ドラゴンはリュブリャーナの紋章にも刻まれた街のシンボルでもある。が、リュブリャーナの守護聖人は聖ゲオルギオスだ。ゲオルギオスはドラゴン退治で有名な聖人だが、倒した相手がシンボルとなっているのはどう言う事だろう?西洋に於けるドラゴンの立ち位置を調べる必要がありそうだ。
夕食は我々日本人から見ると面白いアジアを意識した麺料理のヒュージョン・ファーストフードに入った。日本だけでは無くアジアの麺の種類を選び、トッピングとソースを選ぶ。どれも焼き麺だが、それぞれの組み合わせだからメニューは豊富だ。
明らかに伝統を守ったものでは無くアジア風創作と言うところが面白い。私はうどんに豆腐をトッピングして、順当に行けばソースは照り焼きだったが、此処は敢えてオリエントをチョイスした。中華鍋の実演も好評の様でスロヴェニアの家族連れが楽しそうに眺めていた。味もなるほどである。
アジア好きやアニメを通じた日本ファンの人々も集まる様で、なんとスロヴェニアで柴犬を連れた日本贔屓のお姉さんと出逢い話が弾んだ。