旧ユーゴスラビアを旅する完全版+スロヴェニア編

 前回クロアチアのロヴィニからスロベニアのピランに移動した。これで旧ユーゴスラビアの国を全て訪れた事になる。ではいったいスロベニアとはどんな国なのだろうか?

 位置的にはクロアチアとイタリアに挟まれ北にはオーストリアがある。海岸線はとても狭くピランを含む47キロしか海岸線が無く、殆ど内陸国と言って良い。海岸線にあるピラン等の街こそヴェネツィアの影響を色濃く残すが、大陸の殆どは文化圏を異にしており、オーストリア=ハンガリー帝国やドイツの影響が色濃い。

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 歴史的にはフランク王国神聖ローマ帝国の統治を経てオーストリア=ハンガリー帝国の支配下に移る。こうした経緯から東方正教会オスマントルコの影響が大きい他のユーゴスラビア諸国とは文化的に異なりカソリックが主体の民族である。

 その後オーストリア帝国第一次世界大戦で敗北、崩壊するとセルビアクロアチアと共に南スラブ人の国家ユーゴスラビア王国に参加する。第二次世界大戦ではイタリアに占領され、第二次世界大戦後はチトーが結成したユーゴスラビア連邦の一国となる。

 しかしチトーの死後、ユーゴスラビア諸国の独立機運が高まるとスロベニアでも独立を目指す事となる。

 ユーゴスラビア紛争の最大の原因は民族意識の高まりによる独立を巡った紛争だが、他方で経済格差による各国の足並みが揃わなくなった事も要因のひとつであった。特にユーゴスラビアの中で、一番西側諸国に近く、関係も深かったスロヴェニアは経済的に常に稼ぎ頭であり、その事から自分等が稼いだ金が、ユーゴスラビア連邦の稼ぎとなって貧しい国々との間で平等に分配されるくらいなら、独立した方が良いと言う鬱憤があった。


 こうした事から独立を阻止したい連邦の中心でもあるセルビアと対立する事となり武力衝突に至る。しかしそれも10日間と言う短期で終わらせる事が出来、独立を勝ち取った。この要因には隣のセルビアの宿敵とも言えるクロアチアも独立を目論んでおり、更にスロベニアに軍隊を向けるにはそのクロアチアを通り抜ける必要があり、セルビアとしてはスロベニアどころの問題では無かったからとも言える。そうした地勢的アドヴァンテージも味方したと言える。

 そんな短期に終わったスロベニア独立戦争だが悲しいエピソードも勿論ある。独立に際しスロベニアでは連邦軍の動きを封じる作戦に出た。連邦軍は孤立した連邦軍を救うべくヘリコプターで物資をスロベニアに運んだ。スロベニア軍はそのヘリコプターを撃墜する事を決意したのだが、その打ち落としたヘリコプターに搭乗していたパイロットは連邦軍に参加していたスロベニアの兵士だったと言う事だ。セルビアもそれを承知でわざとヘリコプターに搭乗させたのだろう。戦争の残酷さを思い知るエピソードだ。

 しかしながら他のユーゴスラビア諸国が独立を巡って泥沼の紛争に突入していく中、早期に独立を勝ち取り、またそれまで立地的にも西側の諸国と繋がりが深かったスロベニアはいち早く民主化を達成し、旧東側の諸国としては初めてEUに加盟、NATOにも加わっている。シュゲン条約にも参加した事からイタリア等西側との国境によるパスポートチェックも不要となり、今となっては旧ユーゴスラビアから脱却してEUの国のひとつと言う性格が強い。