旧ユーゴスラビアを旅する完全版+クロアチア・ロヴィニからスロヴェニア・ピランへ

 本来本日は7年ぶりとなるザグレブを再訪する予定でいた。しかし折角なら未だ見ぬ街を訪問したいと思いバックパックの奥にしまっていたクロアチアスロベニアのガイドブックを取り出し眺めていると一目惚れしてしまいそうな街の写真が目に飛び込んできた。その名はロヴィニ。なんとこれまで参考にしてきた中欧のガイドブックには載っていない、それほど小規模の街だから見逃してしまっていた。早速調べると、これから向かうスロベニアへ寄り道感覚で向かえる方角だ。久しぶりに訪れたザグレブの青果市場の脇で朝食を摂っていた私はバックパックにガイドブックを放り込むと一目散にバスステーションへと向かうのだった。

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 と言う訳で急遽バスターミナル迄向かったのだが生憎次のバスは満席、次の便でロヴィニに向かう事となった。昼過ぎに到着すると先ず次に訪れるべくスロベニアのピラン迄のバスを探した。ロヴィニに急遽訪れたので、ピラン迄行けるかどうかは定かでは無い。バスが無いとしたらザグレブまで引き返すしか方法は無い。結局ピラン迄の便は無かったが、目と鼻の先のポルトローズと言う街までバスがある事が解りそのバスを手配する。そのバスの便は夕刻出発。ロヴィニには3時間半の滞在しか無いが精一杯楽しもう。

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 ロヴィニは小さい街。バスステーションのすぐ先はもう海が広がっている。そして少し移動すれば、私を一目惚れさせた光景が見えてきた。もう少し歩いて全体像が見れる場所まで移動した。必死にカメラを構えていると

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カモメが飛んできて

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グッドジョブ過ぎるぜかもめさん。惚れてまうじゃないか!

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 存分にロヴィニの全景を楽しんだ後いざ旧市街に向けて歩き出した。半島内の本格的な旧市街へと続くバスステーションからの導入部でさえ雰囲気抜群、道が緩やかに曲がりくねり淡い色調の家屋が建ち並ぶ。両側にはファーストフード店やお土産屋が建ち並び明るい雰囲気に包まれる。私はディズニーランドのメインストリートを歩く子供の様な心境だ。

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 やがて道は不自然に平坦な広場を持つ大通りに出る。ロヴィニは嘗て大陸に程近い島だった。それを人口増加に伴い埋め立てて大陸と繋げ今の様な半島状になったのだ。アドリア海沿岸の街はドブロブニクを始めこうした経緯で埋め立てられて大陸と同化した街が数多くある。そしてこの平坦な部分は嘗ての埋め立てられた部分と言う事になる。

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 さてその埋め立てられた部分から嘗ての島、すなわち旧市街に突入する。その門としてバルビ門と言う小さな門があるのだが、残念ながら修復工事中だった。

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 島部分に入ると道は緩い上り坂となり、その両側には可愛らしいお土産屋さんやレストランが建ち並ぶ。嘗ての島はこの様にこんもりとした山の様な形をしたまんまるい島だったのだ。その上に住宅が密集したので、遠くから眺めるとまるでピラミッド状に家が建ち並ぶかの様に見える。これが奇跡的な美しさをロヴィニに与えている。

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 こうしてピラミッド状に家屋が建てられた街はアルジェリアのがルダイア等が有名だが、ロヴィニはがルダイアの様に計画されて出来た街では無く、嘗てこの地を襲い人々を苦しめたペストから逃れる為、人々が島に逃げ込み住み始めた事がロヴィニのこの景観を作り上げるきっかけと言うから信じられない様な奇跡の上にこの美観が作られたのである。

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 そしてその美観の最大のポイントともなっているのがピラミッド状の山の頂点にヴェネツィアの鐘楼を模して建てられた聖エウフェミア教会の尖塔がスクっと建っている事だ。聖エウフェミアは若干15才の少女。だがキリスト教迫害に遭い苛烈な拷問に遭っても棄教する事無く、最期はライオンに食い殺された殉教者として聖人となり、この教会に祀られている。

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 そんな教会の尖塔からロヴィニを眺めた。橙色の屋根瓦がぎっしりと楕円形の島を埋め尽くし、その周囲を紺碧のアドリア海が覆っている。つい先日これより遥か南方のモンテネグロのコトル、プドヴァと言う二つの街を訪れた。その二つの街も嘗てのヴェネツィア領だった。その二つの街は厳重な城壁で囲まれ守られていた。が、此処ロヴィニには最早城壁は残されていない。海ギリギリまで家屋が建ち並び、とても開放的な印象を受ける。此処はヴェネツィアにもう目と鼻の先、言うならばヴェネツィアのお膝元。それ故の解放感なのだろうか?

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 尖塔から降り再び坂道の多い路地を歩く。コトルやプドヴァと比べロヴィニは距離だけでは無く、支配されていた時間も長い。有に五百年の時をヴェネツィアと共に過ごしてきた。だから街はヴェネツィアの香りを存分に残す。ヴェネツィアは今となってはイタリアの一部ではあるが、ローマよりフィレンツェよりロヴィニはヴェネツィアと共の時間を過ごしてきた街なのである。

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 そんなこんなしていると3時間半と言う時間はあっという間に過ぎてしまった。もう一度港から忘れられない風景を眺めた。一周するだけなら30分もかからないかもしれない小さな街。だけど私にとってはとても満足しかねる滞在時間だった。強烈な印象を私に残し、そして心残りを残した街でもあった。

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 私を乗せたバスはフリックス・バス。黄緑色が印象に残る、スマホのアプリで予約し支払いし、チェックインを済ませる今時のバス会社だ。そのバスでスロベニアの国境を超えロヴィニと同じくヴェネツィアと関わりが深い港街ピランを目指した。バスはロヴィニに程近いポルトローズと言うリゾートタウンに停車した。そこからピラン迄は徒歩3キロ。3キロなら私にとって十分徒歩圏内なので歩いて向かったのだが、其処が地図の悪いところ、標高差までは解らない。心臓破りの急坂が私を待ち受けていた。

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 よっこら登って目の前に広がるトリエステ湾を眺め、もうゴールのヴェネツィアも目と鼻の先にある事を実感する。再び坂を下る頃、ピランのランドマークである聖ユーリ教会の尖塔の向こうに夕陽が沈んでいくところだった。

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 宿にバックパックを放り投げ、急いで夕陽の鑑賞に出掛けた。

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 アドリア海に夕陽が沈んでいく。雲の加減で夕陽が爆発した様に見えた。

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 ピランは細長い三日月の様な形をした岬に街が出来ている。ロヴィニが海面すれすれまで家屋が建ち並んでいたのに対し、ピランでは海沿いは遊歩道になっている。港があるピラン湾沿いには観光客向けのレストランが建ち並び、教会のあるトリエステ湾沿いには静かで大人なバーが建ち並ぶ。ピランではピラン湾で夕食を済ませ、トリエステ湾側で飲むと言うのが夜の過ごし方だろうか?

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 夕食後ピラン湾では息を飲む様なトワイライトタイムを過ごす事が出来た。

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 街の中心タルティーニ広場にはこの街出身の作曲家タルティーニの銅像が建てられている。その背後の市庁舎には羽の生えた手に書籍を抱えるライオンの像が刻まれている。このライオンの名はサンマルコ。すなわちヴェネツィアの聖獣でありヴェネツィアの紋章である。嘗てのヴェネツィアの統治していた街でこの紋章を探すのも楽しいひとときだ。

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 ロヴィニでも見かけたが、ピランには旧市街の路地の至るところにアーチが架けられちょっとしたトンネル状になっている。イスラームの街でもこうした光景を良く見かける。防衛上の仕掛けだと思われるが、今となっては街の情緒を深める仕掛けともなっている。そんな旧市街の路地裏を歩いていると今いつの時代か解らなくなってくる。いっそそのままタイムスリップしてやろうか?そんな気にさえなってくる。

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 本日はイストラ半島をクロアチアのロヴィニからスロベニアのピランまで駆け抜けた。ロヴィニがイストラ半島のクロアチア側の美の横綱ならピランはスロベニア側の美の横綱に違いない。アドリア海の女王ヴェネツィアの支配した街はいずれも美しい。