旧ユーゴスラビアを旅する完全版+セルビア・ノヴィ・パザル編

 此処から再び今年の旅に話題を戻す事とする。プドヴァを後にしてモンテネグロを抜けセルビアの首都ベオグラードを目指す。その道中の鉄道は景勝路線としても有名なのでとても気になっていた。しかし日中の大半を移動に使ってしまうのも勿体ない。なら夜行を使おうか?私は悩んでいた。

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 しかしガイドブックを見ているうちにひとつ立ち寄りたい場所を見つけた。バスならギリギリ途中下車して本日中にベオグラードに到着出来そうだと言う事が解り、その日程で旅する事にした。

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(上から眺めるプドヴァ旧市街)
 鉄道も景勝路線だそうだが、バスも決して負けていない。プドヴァを経ったバスはどんどん標高を上げていき、北にプドヴァ旧市街、南にスベティ・ステファンまで広がるプドヴァ・リビェラを一望しながら走っていく。今まで私を感動させた風景が一度に見えるのだからとても興奮した一瞬だった。

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 バスはその後も黒い山と言う意味のモンテネグロそのものの山深い渓谷沿いを標高を上げながら走り、その車窓は惚れ惚れする程美しい。バスの車窓のガラス越しなので上手く写真に納められないのがとても歯痒い。

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 切り立った断崖を抜け風景はやがて長閑な山村に移り変わる頃モンテネグロの国境を超えセルビア領に入った。そんなモンテネグロコソボにも近い場所に私が途中下車したかった街ノヴィ・パザルがある。バス停を降りると雑然とした風景が飛び込んでくる。珍しいだろう東洋人の私に

「どうしてこの街に来たん?」

 なんて声が次々とかかる。ヨーロッパではあり得ないアジア的な街の風景、そして人々…。そう此処はモスリムが多い街。私の旅程ではもうこの街より先にイスラームの街は無い。私の大好きなイスラームの街を最後に見ておきたかったのだ。

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 そしてもうひとつ。コソボではイスラーム系が殆どになったコソボに、今も頑なに教会を守る為暮らし続けるセルビア正教の集落を見てきた。一方此処ノヴィ・パザルはセルビアに取り残されてしまったイスラームの街とも言える。そんなノヴィ・パザルの街を見ておきたかった事もある。

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 バスターミナルから街の中心を目指せば、サラエボでもあった大きな水汲み場があった。イスラームは砂漠で生まれた宗教。水が何処よりも貴重な場所。街の中心には水汲み場が置かれ人々が其処に集った。其処から人々で賑わうバザールが広がっている。もう此処はヨーロッパと言うよりアジア的喧騒に満ちている。

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 街を歩く女性を見てやっぱり…と思う事があった。多くの女性がスカーフ等で髪を覆っている。アラブ諸国では当然の習慣なのだが、共産主義時代もあり、あまり戒律が厳格では無いアルバニアコソボ等此処周辺では女性も髪を覆わない人が殆どだった。しかしノヴィ・パザルでは髪を覆う女性が多い。その理由は多分この街の立地にある。セルビアセルビア正教が主流の国。更にコソボ紛争ではその宗教の違いが紛争を大きくした原因ともなった。つまりノヴィ・パザルの人々は敵対するグループに取り囲まれたマイノリティと言う事になる。こうした環境に暮らす人々は民族的アイデンティティを強調する傾向にある。

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 例えば中国共産党に迫害を受けているウイグル族の人々、ヒンズー教が主流のインドに暮らすイスラームの人々、そうした環境に暮らす女性達の多くは髪を覆う人々が他の地域より多かった。ノヴィ・パザルの人々はどんな面持ちでこの街で暮らしているのだろう?

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 ユーゴスラビアの解体、そしてそれぞれの国々の独立。一見其処に暮らす人々の想いが叶った喜ばしい出来事にも映る。しかしそこから取り残されてしまった人々もいる。元々長い歴史の中でそれぞれの民族、それぞれの宗派の人々は移動を繰り返し、時には強制移住等もあり、バルカン半島の中で散り散りになっていった。

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 チトーが目指した連邦の中では彼等はひとつの連邦の中で平和に共存して暮らしていた。しかし彼の死後、民族主義者達が台頭し、それぞれの国に分離しようとした時、最早民族や宗教に基づいて国境を引く事がナンセンスな程それぞれは入り交じって生活を送っていた。それを強引に国境を引いたから紛争は双方に大きな禍根を残す事となった。それは世界の様々な地域でも私は見てきた。国境とは何か?国とは何か?いつも考えさせられる事だ。そんなものがあるから紛争が絶えず、そして多くの血が流される。

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 もっと時間があれば良かったが、長居しては今日中にベオグラードに到着出来ない。後ろ髪を引かれながらノヴィ・パザルを後にする。長閑な牧草地帯をひた走り、長い日照時間のヨーロッパにも日が沈む頃漸くセルビアの首都ベオグラードに到着した。

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 何度も書いたがヨーロッパの鉄道駅は街の外れにある。ベオグラードは鉄道駅とバスターミナルが併設されていて便利だが、街の外れに違いは無い。鉄道駅は思っていた以上に規模は小さく、到着したのが夜と言う事もあり、風景は更に寂れて感じた。駅前にはポルノショップ、夜遅く到着だったので夕食もままならずホテルに向かう。そんなホテルのロビーに屯する猫ちゃんに心が癒された。

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 今までずっと独立を勝ち取る為圧倒的な連邦軍を操るセルビアと戦ってきた国々を旅してきた。そしてそれ故にNATOアメリカの介入を受け、空爆さえされたベオグラード。やった側とやられた側。遂に私はそのやった側のセルビアベオグラードに到着した。

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 しかし物事を調べる中、、この紛争に導いた最大の首謀者であるミロシェビッチは許せない存在に間違いは無いが、此処に暮らすセルビア人もまた大きな損害を被った被害者のひとりである事を思い知った。だからこそ、セルビア=悪と言う西側が築き上げたサングラスを外し、この街を旅しなければならないと思った。紛争を起こした張本人は政治家であり市民では無い。裁かれるべきはこの紛争を巻き起こした民族主義の政治家共だ。戦った者達も扇動され操られていたに過ぎないのだから。ベオグラード…いったいどんな街なのだろう?