旧ユーゴスラビアを旅する完全版+コソボ紛争とは

 本日からは再び旧ユーゴスラビアの国々への旅を続ける。旧ユーゴスラビア二つ目の国はコソボ。二つ目の国と言うとちょっと問題が絡む。と言うのもコソボは世界の約半分の国しか国と認めていない。ではいったいどうしてそんな事が起きてしまったのか。今日はそこを紹介したいと思う。

 バルカン半島の歴史はこれまで断片的に語ってきた通り、様々な国が勃興してはブルガリア帝国ビザンティン帝国オスマントルコ帝国等の巨大な帝国に支配されてきた。小さな国々はそれらの勢力が衰えるとまた不死鳥の様に甦ったが、国の大きさや位置、其処に暮らす民族はその時代時代によって変遷してきた。

 セルビアが誕生したのは現在のコソボ周辺だったと言われる。つまりセルビアにとってコソボは聖地にあたるのだ。(だから決して失いたくない。)時代は変わってオスマントルコ征服時代。セルビア民族は北部に移動し、コソボには南部のアルバニア民族が移ってきた。そして第二次世界大戦後。チトー大統領率いるユーゴスラビア連邦が成立。この時コソボ地域はユーゴを構成する国のひとつセルビア編入される事となる。但しコソボに暮らしている多くの住民がアルバニア人だった事からコソボセルビア自治州と言う扱いになる。(アルバニア人に取っては此処は我々が暮らしてきた場所だ!)

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 チトーのカリスマで保たれていたユーゴスラビアの平穏も彼の死後、東欧に民主革命の嵐が吹き荒れると、ユーゴスラビアの国々は民族主義者達が台頭し、次々と独立を宣言。そして紛争へと突入していった。

 そんな矢先セルビア民族主義ミロシェビッチセルビア人の権益を優先する為アルバニア人の多いコソボから自治権を大幅に剥奪してしまう。当然コソボ側はこれに反発、最初こそ失われた自治権の回復を求めていたものが、やがて独立を目指し武力衝突し、それが紛争、互いによる民族浄化合戦に発展していく。(ミロシェビッチ自治権剥奪を行わなかったらコソボ紛争は起きなかった可能性さえある。)

 こうした状況に西側諸国は反応。ユーゴスラビアは国連で拒否権を持つロシアと親しい事から、国連で話し合っても埒が開かないと判断した西側諸国はユーゴ、コソボ両間の話し合いでの決着が付かないと判断するとセルビア空爆を開始。結局セルビアは降伏、コソボから撤収し、その後国連がコソボを管理、その後もセルビアとの話し合いは不調の中2008年コソボは一方的に独立に至る。

 この様な西側の一方的な攻撃により独立を果たした事から、当然その相手であるセルビアは勿論ロシア等東側の国々はコソボを国として承認せず、また西側に於いてもスペイン、インド等国内の自治州の独立問題を抱えている国々はコソボを国として認めてしまえば、自国の自治州の独立問題にも影響を及ぼす恐れがある事からコソボを国として承認していない。

 ではユーゴスラビア連邦からクロアチア等が次々と独立していったが、その時承認云々なんて無かった筈なのにどうしてコソボの時だけ承認なんかが必要となってくるのか?それはクロアチア等他の独立した国は、昔から元々国であって、それが共同しユーゴスラビア連邦を作っていた。だから連邦が解体しても、ひとつひとつの元の国に戻っただけと言う事。一方コソボの場合、民族が違うとは言え、セルビア自治州としてセルビアの一部分だった事からそれが独立するなら、大本の国であるセルビア以下世界各国の承認が必要だと言う事。

 アメリカ主導の空爆により、両者の暴力の応酬は一旦解決に向かった事は事実。ただ空爆と言う暴力を使ってしまった以上、コソボセルビアの間を隔てる溝は余計深いものになったとも言える。

 さて現在、セルビアコソボを国として認めず自国の領土と考える。が、一方コソボは最早国として機能し始めている。この現状が旅人に関わってくる問題もある。入出国についてだ。先ずセルビアに入国したとしよう、そこからコソボに直接移動するのは全く問題ない。セルビアコソボは自国領と考えているからだ。但しコソボは国として機能しているからコソボの入国スタンプは押される。では逆に最初にコソボを訪れてから直接セルビアに移動するとどうなるのか?コソボの入出国スタンプは押されるが、セルビアコソボを自国領と考えているので、コソボからセルビアに入った時点でセルビアの入国スタンプが無い状態で入国している結果となる、即ち不法入国として退去処分を喰らう可能性がある。

 私も今回セルビアを訪れる前にコソボに入国をしてしまった。だからコソボセルビアは当然地続きなのだが、直接移動すると門前払いを喰らう可能性が大きい。ただ、旅人の便宜を図ってか抜け道は用意されている。一旦第三か国に抜けてから再びセルビアに入国するのだ。だから私もコソボモンテネグロセルビアの順で旅を続ける。その点については、イスラエルの入出国の記録があると特定のアラブ諸国には入国拒否されるとか、ナゴルノカラバフの入国記録があるとアゼルバイジャンには入れないと言った件よりは緩く出来ている。