大変ご無沙汰申し上げます。

 再び大変ご無沙汰してしまいました。何の連絡も無く申し訳ございません。
 実は急遽再び前回の旅と被る部分を旅していました。と言うのもブログを綴っていく内に、前回の旅で不完全燃焼に終わっている部分に気づき、悶々とした日々を送っていました。夏の終わりに見たくなるアニメと言えば「あの日見た花の名を僕達はまだ知らない」と決まっていますが、私も何気無しにあの花を見ていて、ヒロインのメンマが「やり直しだよ!」と言う台詞を聞いて居ても立ってもいられなくなり急遽航空券を押さえて旅立ちました。

 行き先はクロアチアザグレブ。そこからプリトビツェで一日過ごした後は、イストラ半島から終着のヴェネツィア迄、ずっとヴェネツィア所縁の地を旅しました。

 中でも一番の目的は途中のロビィニと呼ばれる小さな街。前回急遽訪れた為数時間の滞在しか出来なかったのですが、一目惚れに近い状態。一泊しなかった事、とても後悔していました。

 今回は宿泊にもこだわりにこだわり、またとないホテル(正確に言うとホテルではなくアパートメント)に滞在し、存分に楽しむ事が叶いました。

 終着地は前回ヴェネツィアは十分歩いたのだから他の街でも良かったのですが、ロビィニを始めヴェネツィア所縁の地を点々と旅した最後はやっぱりヴェネツィアでなければ納まりません。他の場所では駄目なのです。そんな想いが通じたか、前回悔しかった部分も解消されて、思い残す事無く旅を終える事が出来ました。(いやいやヴェネツィアは数百回訪れたとしても完璧なんて言えない究極の街だとは思いますが…。)

 旅の終わりにヴェネツィアでサンセット・ボートクルーズに参加しました。その時出逢ったインド人カップルと旅の話題で盛り上がりました。私がクロアチアのロビィニからアドリア海に沿ってヴェネツィアを訪れたと知ると、

クロアチアスロベニアも含めて三か国も周遊したんだね!私達はローマから入ってフィレンツェそしてヴェネツィア、イタリア一か国だよ。」

 と言われました。私はふと違和感を覚えました。ローマ、フィレンツェと旅してヴェネツィアに来た貴方達こそ違う国からヴェネツィアにやって来てる…。ああ、いや…それは歴史上の話だった。彼等の言ってる事は間違いでは無い。

 普通ヴェネツィアを旅する人はローマから入ってフィレンツェ、ピサ等を巡りヴェネツィアに向かいます。現在ヴェネツィアはイタリアの一都市だから、それは当然の事でしょう。ですが、歴史好きの私にとってヴェネツィアは一都市では無くヴェネツィア共和国と言うひとつの国なのです。事実ヴェネツィアがイタリアの一部になった歴史等たった百数十年に過ぎず、反してヴェネツィアが共和国として存在したのは実に先年を越えているのです。

 しかもヴェネツィアは他のミラノやフィレンツェと言った都市国家と違い、同じラテン民族であってもイタリアとして一括りに出来ない独自性を持った国でした。

 カソリックを信仰しながら、ビザンティンの影響も強かった事からローマ教皇とは一歩も二歩も間を置き、ローマや他のヨーロッパが旧態な王政を敷く間も共和制で法治国家と言う現代的な制度を敷いて先年の時独立を保持しました。そんな国は世界に他にあるでしょうか?

 おっと熱くなって話がずれましたが、此処で言いたかった事はヴェネツィアはひとつの国だったと言う事。そしてその領内に今回訪れたクロアチアのロビィニやスロベニアのピランが含まれるのです。
だからそれらの街はヴェネツィア色が濃厚に残り、まるでヴェネツィアの街を歩いているかの様な錯覚を起こします。これはフィレンツェを歩いていてもローマを歩いていても決して起こらない現象です。

 つまり歴史的に考えると、ローマから始めフィレンツェと旅してヴェネツィアを訪れると言う事は別の国に入った様なものなのであり、ロビィニ、ピランと続けてヴェネツィアに入れば、今でこそクロアチアスロベニア、イタリアと三か国周遊になるのですが、私にとってはヴェネツィアを旅しているに過ぎなくなるのです。私にとってヴェネツィアはイタリアの一部では無く、ヴェネツィア共和国でしか無いのです。

 つまり今回のやり直しの旅はヴェネツィアを旅すると称しても良いでしょう。今回の旅行記に続いて、ヴェネツィアの旅に取りかかりたいと思います。特に今回の旅の主目的とも言えるロビィニはイエメンのサナアと共に私の忘れ得ぬ街となりました。どうぞご期待ください。