旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ユーゴスラビアとは?

ルーマニアブルガリアと旅して次回マケドニアを旅する。マケドニアは旧ユーゴスラビアの構成国のひとつ。つまり今回の旅の本題旧ユーゴスラビアの国に突入する事となる。ではユーゴスラビアとはいったい何なのか?旅行記を始める前にザックリ、ザックリと紹介したいと思う。

ユーゴスラビアとは南スラブ人の国と言う意味であり、その南スラブ人は遥か昔にバルカン半島に移動してきた。やがて場所や部族の違いから小さな国に別れるが、ビザンティン帝国の支配を受け東方正教を信仰する様になる。この東方正教を信仰する南スラブ人がベースとなる。その後南スラブ人の国々は時代が変わり支配していた国が滅びると国として姿を表すもやがて次に現れた大国の支配を受けると言う歴史が続く。

ビザンティン帝国が滅びるとオスマントルコバルカン半島は征服され、北西部ではそれに対抗するオーストリア=ハンガリー帝国が支配を強めた。この結果バルカン半島の中央部ではオスマントルコの影響でイスラームを信仰する様になった南スラブ人(ボスニアヘルツェゴビナマケドニアの一部)北西部ではオーストリア帝国の影響でカソリックを信仰する様になった南スラブ人(クロアチアスロベニア)そして東方正教のままの南スラブ人(セルビアモンテネグロ)と南スラブ人は三つの信仰に別れる結果となった。

では、ユーゴスラビアと言う国名がいつ出来上がったのか?それは第一次世界対戦後の事だ。第一次世界大戦当時、ユーゴスラビアの国々の中では唯一セルビアだけが独立した国家だった。1914年そのセルビアのとある男がサラエボにてオーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者を暗殺した。オーストリア=ハンガリー帝国はこの事件の報復としてセルビアに侵攻、ロシア帝国セルビアを擁護、するとオーストリアと同盟関係にあったドイツがロシアに宣戦布告し、ロシアと同盟関係にあったフランス、イギリスがドイツ、オーストリア同盟軍に対抗すると言う形でヨーロッパの大国が次々と戦争に加わり第一次世界大戦に発展した

 第一次世界大戦の結果、ドイツ、オーストリア同盟軍は敗北し、オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊する。その結果、セルビア王国が帝国の支配から脱したクロアチアスロベニアを加えて南スラブ人の統一国家を作り上げた。これこそがユーゴスラビア王国である。

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 しかしユーゴスラビア王国では常に最大の勢力を持つセルビア人が優位に立つ政治が続いた事で、クロアチア人やスロベニア人の不満が募り、クロアチアは独立を求めセルビアと紛争状態に陥った。

 そんな状況のユーゴスラビア王国から、他のヨーロッパの情勢に目を移せば、ドイツにヒトラーが登場。彼が率いたナチスオーストリア帝国の支配から脱却し独立したばかりの体制の整わない中欧諸国をあっと言う間に支配し、その時ユーゴスラビア王国も崩壊しセルビアは滅ぼされ、クロアチアナチス・ドイツの傀儡国家にされてしまう。

 ナチスユダヤ人虐殺の収容所をユーゴスラビアの領土にも設立し、そこで多くのユダヤ人の命が失われたが、その中に多くのセルビア人の命も含まれていたと言われる。当時クロアチアユーゴスラビア王国から独立を図る為セルビアと紛争状態だったが、それを理由にユダヤ人と共にセルビア人も多く処刑したと言う。民族浄化の始まりだ。

 こうした経緯からセルビア人、クロアチア人の双方に対する憎悪は並々ならぬものとなっていった。

 しかしそんなユーゴスラビアを救う救世主が現れる。共産党パルチザンとして戦い、ソ連の力を借りる事無くナチスからユーゴスラビアを解放したチトーだ。彼は戦後ユーゴスラビア王国からユーゴスラビア連邦民共和国と名を変え、6つの国から成る社会主義国家を築き上げた。

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 チトーは第二次大戦後、ソ連が結成される中、独立を果たした南スラブ人の国々が生き延びていくには、民族主義の壁を越え、手を取り合い連邦を組んで行く事が必要だと考えた。

 彼は民族主義者を押さえ込み、周囲の東欧の国々がソ連の傀儡になっていく中、ソ連とも一歩距離を置いた社会主義を彼自身が持つ強烈なカリスマ性によって纏めあげていった。その手腕は神業とも言って良いだろう。何故なら犬猿の仲のセルビアクロアチア呉越同舟させての連邦を安定させて運営していたのだから。

 しかしそんなチトーの政治にも唯一欠点があった。それは、ユーゴスラビアの安定は彼の強烈なカリスマ性に頼りきったものだったと言う事だ。どんなに強いものでも寿命には叶わない。1980年連邦の大黒柱チトーが永眠する。

奇しくも彼の寿命が尽きる頃、東欧に大きな時代の波が押し寄せた。ソ連崩壊、東西ドイツ統一、ルーマニアでチャウチェスク暗殺。共産党が次々と雪崩の様に崩壊し、東欧に民主化の嵐が巻き起こった。それと共に今までチトーが押さえつけてきた民族主義者が連邦の国々で続々と台頭した。それまで7つの国境6つの国5つの言語4つの民族3つの宗教二つの文字そして一つのユーゴスラビアと唱われて来たユーゴスラビア連邦に運命の時が刻一刻と迫っていた。さてユーゴスラビアはいったいどうなってしまうのか?

以降の展開は其々の国を紹介する時、自分の見解を織り混ぜながら書いていこうと思う。