旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ブルガリア編1

 ルーマニアからブルガリアの首都ソフィアへ夜行バスで移動した。ヨーロッパの各国はそれほどの距離がある訳では無いので夜行にすると少々早く到着し過ぎてしまう。ブカレストを夜10時半に立ったバスはソフィアに朝5時に到着した。サマータイムを実施しているヨーロッパでは朝の始まりが遅く、日本で言うなら朝4時に到着したのと同じような感じ。

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(ソフィアのバスターミナル)
 若いうちなら夜行の移動は宿泊費を抑えながら移動も出来てしまい効率良いから毎日だって!と言う感じだが、流石に50に達すると少々しんどい。列車なら未だしもそれがバスだと、空いていて後ろの座席を占領できたとは言え真横になれる筈も無く、激しい運転と悪路に揺り動かされては熟睡も叶わない。そして国境を超える場合何故か大抵ウトウトし出す深夜回りに審査で叩き起こされる羽目になる。

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(朝食 バスターミナルの地べたで行儀悪くてごめんなさい)
 そんなこんなでソフィア到着したところで予約した宿の宿主も未だ起きていないだろうから、荷物も置きにいけないしとバスターミナルで横になって朝が明けきるのを待った。せめてもの救いはバスターミナルがルーマニアのそれとは違い格段に近代的だった事。何時頃だろう売店が開いたのでパンと飲み物とヨーグルトを買った。普通は買わないが折角ブルガリアにやってきたのだからヨーグルトを買わない訳にはいかないだろう。うーん、私にしてはなんて健康的な朝食だろう!

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(現在のブルガリアの位置)
 さて、ブルガリアっていったいどんな歴史がある国なのだろう?私もヨーグルト以外あまりピンと来なかったのだが、歴史を紐解くと結構昔は凄く勢力を伸ばした帝国時代もあった様だ。ブルガリア遊牧民であるブルガール人とスラブ人が同化して出来た民族が発祥とされる。その後王国を築き、一時期はバルカン半島をほぼ全域征服する程勢力を拡大し、当時の強国であるビザンティン帝国東ローマ帝国)と互角に勝負する程だったが、やがてビザンティン帝国に支配されるに至る。ビザンティン帝国が滅びると再び復活するも、その後勃興したオスマントルコ帝国に支配される。そしてオスマントルコが衰退するとルーマニア同様南下してきたロシア帝国オスマントルコを破ると、漸くブルガリアは再度独立が叶う事となる。この経緯からブルガリアは親ロシアの国となり、第二次世界大戦後はソ連の衛生国として共産主義の国となるが、ソ連崩壊後は他の東欧の国と同様民主化を進め今日に至る。

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(ブルガリア帝国時代の勢力黄色)
 そうこうしているとやっと街が動き出したので、今日の宿に荷物を預けて街へ飛び出した。他のヨーロッパの街と同様ソフィアも駅は街の外れにあるので駅前は何処か寂れているが、街の外れとは言えそれなりにビルが建ち並んでいたブカレストに比べ余りにも寂しい。街の規模としてはブカレストよりも一回りも二回りも小さい感じだ。

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 私は二日この街で過ごす事にしたが、初日は郊外に移動しなくてはならないリラの僧院を訪れる事にした。リラの僧院には今いるバスターミナルとは街の中心を軸として真逆の外れに行かなくてはいけない。幾らなんでも徒歩は辛いので此処は素直にトラムに乗車してコトコトとバスターミナルへと向かった。

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(途中休憩で訪れたリラの村)
 バスターミナルでチケットを購入しバスに乗って出発を待っていると、出発間際になると続々と乗客が集まってきてほぼ満員となった。途中ピザを買ってバスに持ち込もうとした無国籍風東洋人が食べ物持ち込み禁止と言われ「マジですかぁ!」と言う表情でバスを降り、必死でピザを喰らい始めた。私も良く無国籍風に見られるし、安いピザは私の味方でもあったから、バスの車中から必死で彼にエールを送った。

「残すな!早く食え!出発しちゃうぞ!味わうな!飲み込め!もう満員寸前だぞ!」

 無事彼は完食しバスにも間に合いバスは発車。バスはあれよあれよと言う間に長閑な風景の中を走りながら途中休憩を挟み、山深い峡谷へと入っていった。