旧ユーゴスラビアを旅する完全版+ルーマニア編2

  列車はブカレストを後にして順調にブラショフへと向かう。此処で余り皆に馴染みの少ないだろうルーマニアと言う国を紹介しておく。そう言う私も此処に来るまで明確なイメージを持てずにいたのだが…。バルカン半島はその立地からも歴史からもスラブ人の国々と言うイメージが強いがなんとルーマニアはイタリア人と同じラテン系の人々だとの事。なるほどルーマニアを英語で記せばROMANIA。ローマ人の国となる。ヨーロッパさすがに一筋縄ではいかない。

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 しかし信仰は周囲と同じく正教系が殆どでスラブ人の影響も強く受けている。周囲の歴史と同じくオスマントルコが台頭すると殆どの部分を占領されるが、オスマントルコ衰退と共に北方から浸出してきたロシア帝国を頼る事でオスマン支配から抜け出す。

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(ブラショフ駅)
 第二次大戦後はそんなロシア帝国時代の影響もありソ連と共に共産圏を形成する一国となるが徐々にスタンスを変えていく。が、チャウチェスク大統領の独裁色が強まり国民の不満が高まっていた。そんな矢先にソ連崩壊に伴う東欧の民主化に後押しされた民衆が、小さな暴動をきっかけに決起、チャウチェスクを捉え処刑した事件は、共産圏の終焉を象徴する事件として、フランスの民主革命になぞられる事さえあった。

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(ブラショフ駅前)
 さて、ブラショフは今回の旅の最初の目的地ドラキュラ城の元となったと言われるブラン城があるブランへの拠点となる街で、街自体古都として風情がある街だと言う。駅を降り先ず旧市街ほ方向を尋ねた。

「⚪番のバスに乗っていけば旧市街に出るわ!」

「申し訳ないけど歩いていきたいんで、方向を教えてくれると嬉しいんだけど…」

 相手は「はぁ?」ってな表情で「あっちよ!」と指差してくれる。怪訝な顔をされてもしかたない。ブラショフの駅の目前からは新市街が広がり、旧市街はその向こうにある。そこまで約4キロ、普通の人はバスに乗る。

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(旧市街直前の公園に建つ木造の教会)
 私は出来る限り歩いて旅がしたいのだ。そろそろそんな事体力が許さない歳に差し掛かってきているが、やっぱり三つ子の魂…とやらなのだ。重たいバックパックを抱えながら、人に聞く度にバスを勧められつつ、歩いて旧市街を目指した。

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(旧市街到着)
 旧市街に到着し、空港でBooking.com(ネットの宿泊施設の検索及び予約サイト)で見つけた安宿を探す。詳細を読むとチェックインはホテルでは無く別の場所で行うと言う。ホテルの位置なら連動しているアプリ、maps・me(オフラインで利用可能なGoogleマップ的アプリ)を使えば一発で出てくるが、こう別記されてしまうと途端解り辛い。

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(山の中腹の白い都市名のマークは…)
 仕方無く電話をかけてみる。どうやら通りは間違ってない。電話の向こうの彼女に言われる通り通りにある建物に記してある番地を電話で読み上げ彼女に伝える。

「行き過ぎだわ!後⚪番引き返して!あーん、もう私迎えに出るわ!」

 建物に書かれた番地を探りながら一つ一つ戻りながら、視線を先に向けると一人の女性が大きく手を振っていた。驚いた。電話の女性、つまりホテルのオーナーはオバサンとばかり思っていた。でも目の前で上半身を横に傾けて満面の笑顔で手を降る女性はスタイルの良い金髪の若く美しい女性。まるで海外の映画のワンシーンの様な光景に、思わず自分を指差し、自分に手を振っている事を確認してしまった。

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(何処ぞの国で見た覚が…)
 彼女に連れられて入ったのはバーみたいな場所、彼女の本業はどうやらバーの店主、安宿はアパートの1フロアを借りるか、所有するアパートなのかはしらないが、そこをBooking.comで集客している様だ。Booking.comで安宿を探すとこの様なタイプの宿泊施設がバルカン半島では多かった。

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 さすがバーテンダー。接客の腕前はそんじょそこらの民宿とは違う。彼女の笑顔に思わず1泊付け加えて連泊してしまった。思えばルーマニアはあのコマネチの祖国。美人が多いと言うのも頷ける。