シルクロードを西へ!西安編5

 秦の始皇帝が中国を統一する前の時代、春秋戦国時代は、思想と思想がぶつかりあった時代でもあった。

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 そんな春秋時代、中国中央の王朝で尊ばれた思想は孔子が説いた儒教だった。儒教は礼節を重んじ、目上の人を大切にする。未だ人口がそれほど多くなかった春秋時代、カリスマを持った部族の長を慕い、礼節を以っていれば秩序が保たれた。そんな一方、人口が増え、異民族も増えていくと、ただ単に礼節だけでは人を統治する事が難しくなってくる。春秋戦国時代も後半の戦国期に入ると、日本の戦国時代の様に下克上の色合いが濃くなってくる。

 「あいつは名家の息子だけど、俺の方が実力は上だ
!」

 って考える人も当然出てくる訳だ。そんな中、格式や礼式に頼らず、一定のルールを決めて序列を決めようじゃないか!と言う思想が生まれてくる。これを説いたのは韓非、彼は彼の書いた韓非子と言う書籍の孤噴と言う章で、血統が尊ばれる世の中で、真に実力がある者が浮かばれずにいる事を切々と謳い上げている。韓非子はまた、矛と盾を売る商人のエピソード、つまり矛盾の話で日本でも良く知られている。韓非の説いた考え方は後に法家と呼ばれ、孔子の説いた儒家思想と中国の思想を二分していく。

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 そんな下克上の色合いが強くなった戦国時代、六つの国に分かれた中国の趙と言う国に呂不偉と言う豪腕の商人がいた。呂不偉は成り上がるきっかけを探していたが、趙に人質に取られていた秦の王族に目をつけた。先ず自分の子を身籠った自分の妻を人質の王にさりげなく近づかせる。妻も呂不偉とグルなので狡猾に王に近づき二人は夫婦となった。

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 そんな王に呂不偉は近づき、王にお前を秦の次の王にしてあげようと提案する。そして豪腕振りを発揮して、彼と一緒に秦に赴き、見事人質だった王を秦の跡継ぎにしてしまうのだった。

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 彼が王の座に着けば、一介の商人に過ぎなかった呂不偉は国の宰相にのしあがった。王は呂不偉に散々お世話になったから呂不偉に頭が上がらない。しかし彼が自分の子供と信じているのは、実は呂不偉の子供である。こうなると、最早王は用済みだった。以後アッサリと暗殺されてしまう。勿論犯人は挙がる事は無い。

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 邪魔となった王を消し、誰もが皇太子と思っているのは実は我が子、もうこうなったら秦は呂不偉の思うがままの筈だった。