シルクロードを西へ!西安編4

 二日目は西安郊外の観光へ向かった。バスに乗るためタクシーを捕まえたが、タクシーの運ちゃんも商売を良く解っている。チャーターして観光しないかと誘ってくる。時間が無い私も話に乗って見る。オフシーズンなのか予想以上に値が下がったので便乗する事になった。

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 先ず向かったのは兵馬傭。秦の始皇帝崩御の時、同時に埋葬された等身大に近い土偶の数々だ。以前は王が死ぬと多くの殉死者が求められたと言う。しかしそれは余りに惨い行為であると共に、多くの命を失う事で国力も落ちてしまう。だから代わりに土偶が埋葬される事になったと言う。

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 しかしながらその土偶の数と完成度が凄い。一つ一つ顔も表情も違うのだ。現代の大量生産ではこうはいかない。いったいどれだけの時間と労力をかけたのか?それではこの兵馬傭の主始皇帝は何処に眠っているのか?それは兵馬傭から車で約10分、人工で築き上げた山の様な陵墓で眠っている。現代では自然に出来た丘にしか見えないが、その地下には宮殿の様な墓があると言う。発掘はされておらず、歴史はロマンの中で眠っている。

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 では秦の始皇帝とはいったいどんな人物だったのか?世界で初めて立法、法治国家を作った人物であり、初めて中国を統一した人物であり、ヒトラーの様に、人生の前半は英雄であったにも関わらず、後半生の行いに寄って暴君として歴史に汚名を残した人物としての初の人物であったとも言える。

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 また彼は統一マニアでもあり、中国を統一すると全土の度量衡、貨幣、道の規格、そして万里の長城迄ありとあらゆるものを統一規格にした。こうして彼が統一した事により、今も伝わる「ひとつの中国」の思想が生まれた。もしこの時、このタイミングで彼が中国を統一し、規格を統一していなければ、現在の中国は今のヨーロッパの様に数ヵ国に分かれた国として成長していたかもしれない。

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 であるにも関わらず、後半の暴君振りに秦の始皇帝は中国でも悪役呼ばわりされる事が多い。彼は何故世界で初となる立法国家を作れたのか?そして何故悪役になってしまったのか?それには彼の悲しい出生によるところが大きい。次回はそんな彼の生涯を振り返ってみる事にする。