シルクロードを西へ!西安編3

 西へ西へ歩みを進める私の前に立ちはだかったもの、それは西安の西門、安定門だ。西安は各時代に変遷があり、現在の西安は明の時代に築かれたものだ。だから私が想いを馳せる時代のものとは同じものでは無い。

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 しかしながら、やはり西安の西門に建てば熱い想いが胸を過る。嘗て玄奘三蔵が国禁を破ってまで自らの意思を遂げるべく西方へ向かった門。嘗てシルクロードを旅したイスラームの商人達が遥かな道程を歩き切って潜ったであろう西安の門。シルクロードのスタートでありゴールでもあったのが西安の西門だった筈だから。

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 門があるなら壁がある。西安には立派な城壁が残されており、そこを散歩する事が出来る。勿論私も城壁歩きを楽しんだ。

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 日本で城壁と言えば城を囲むものと言うのが常識かもしれないが、大陸では街毎囲むものを城壁と言うのが常識だ。此処西安だけでは無く、アジア全体、中東、そしてヨーロッパでも城壁と言うものは街全体を囲むものだった。それは何故か?

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 日本は殆ど単一民族であり、戦争とは大名の領土争いを意味した。だから最初の平城京平安京では中国に習って街毎城壁で囲んだ街を建造したが、やがて城壁は戦争をする必要がある大名の家、即ち城を囲むだけの存在となった。

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 一方大陸では多民族が暮らす故、戦争は時に民族同士の生き残りを賭けた凄惨なものになる。が故に其処を治める者は街毎城壁で囲む必要があったのだ。

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 この日本と大陸の城壁に於ける考え方の違いが、もしかすると日本と外国の政治への関心の温度差(投票率の高低)に表れているのかな?と私は西安の城壁を歩きながら感じた。

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 つまり、政治は城壁内の大名が考える事で城壁外の一般庶民は蚊帳の外な日本人と、政治は城壁内に暮らす全ての人々が一蓮托生、運命共同体でもあった大陸の街に暮らした人々。そんな中で出来上がった気質が、現在の政治への関心度の濃淡に表れているのではないかと。

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 そんな事を考えていると私は西門から南門迄辿り着いていた。城壁の四辺を歩くと13キロもある。最早日も暮れ始めている。私は南門で城壁を降りた。

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 其処には書門院と呼ばれる昔ながらの風景を保存した区域があり骨董品の店が軒を並べていた。中国ではやっとこうした文化保存に力を入れ始めた様だが、時折やり過ぎてテーマパーク化を感じてしまう。

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 日も暮れたので夕食を摂りに向かう。勿論イスラームの食堂が多く集まる北院門街だ。

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 其所で私は西安名物と言うヤンロウ・パオモウと言う料理に挑戦した。日本の鳶職風の元気な兄ちゃんが大声で客引きしている一軒のヤンロウ・パオモウ屋さんに入った。

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 春雨入りスープに羊の肉と硬めのパンをちぎって入れる。言わばパンのお粥風?羊の肉は大好きだし、スープもいけるのだけど、パンをスープに浸けると言うのが、コーンフレーク的なものが苦手な私には今一合わず、女子高生的に言うと

「う~ん、なんか微妙!って感じ。」

 でも、お腹だけはいっぱいになったし、元気な兄ちゃんも素敵だったから良しとしよう。

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 この夜は昨夜のゴタゴタもあったせいか、ホテルに入ると泥の様に熟睡出来た。