シルクロードを西へ!西安編2

 西安、嘗て長安と呼ばれ紀元前1134年西周が都と定めて以来、中国歴代13王朝の都として千年に渡り栄華を誇った街。日本の平城京長安に習って築かれたものだ。その為それぞれの年代の史跡が街や郊外に点在する歴史ファンにとっては世界でも屈指の古都と言える。

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 平城京のモデルとなった街である故に街は碁盤目状に大通りが走る。街の中心部には鐘楼と鼓楼が建つのは中国の街や寺の伝統的様式だ。

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(鐘楼)
 一方西安は今や中国の大都市のひとつでもあり、伝統的なデザインを現代建築に取り入れている部分も多いながら、碁盤目状の道路を相まって、全体的に受けるイメージは非常にソリッドなものだ。それが私の西安のファーストインプレッション。

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(鼓楼)
 しかし街の中心にある鼓楼の裏手に踏み入れば雰囲気が一変する。西安の中心から街の西北部は回族、即ちイスラームを信仰する漢民族が多く暮らす一帯だ。

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 シルクロードの東の基点にあたる西安には、シルクロード交易で訪れたモスリム達が多く暮らし、イスラーム教を伝播していった。現在では、北京、上海、中国の街の何処へ行ってもモスリムが多く暮らしているが西安以西は特にモスリムが多い地域だ。

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 この地域に入ればソリッドな雰囲気は掻き消され、下町風情と言おうか、アジアを通じて感じる混沌とした雰囲気に包まれる。私はこの雰囲気が大好きだ。俄然ボルテージが上がる。

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 北院門街や西羊街には食堂が、化覚巷には土産物屋が軒を並べる。私はそんな雰囲気を楽しみながら目指す場所を探した。

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 私が目指した場所、それは化覚巷清真大寺。清真とは中国語でイスラームを意味する。だから清真料理と書かれてあればイスラーム料理、清真寺はつまりモスクだ。

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 迷いながらやっとの事で辿り着いた化覚巷清真大寺は思っていた以上に大きな敷地にあった。敷地は東西に細長く、四つのスペース(進院)に別れている。四合院造りと言う中国の伝統の建築様式なのだと言う。

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 各進院にはそれぞれモニュメントが施されているが、その中のひとつ省心楼は中華式楼塔だが、言われて見て納得、これはモスクのミナレットにあたるのだそうだ。成る程ミナレットは塔に違いない。

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 そして進院の最奥の部分に礼拝殿が控えている。此方も言われないと中華寺院に見間違えてしまうが、他の国のモスク同様、偶像を描かない、西(メッカ)に向けて礼拝出来る様になっている等、イスラームの戒律に準じて建てられている。

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 化覚巷清真大寺の創建は742年と言う。イスラームの創建が632年、現存する最古のモスク、シリア、ダマスカスのウマイヤド・モスクの創建が715年だから、相当の歴史を持つモスクだ。モスクが建ったからには、それだけ多くの信者が当時の西安にいた事になる。当時の移動手段は駱駝か馬、それをメッカから西安までたった百年でイスラームが伝播した事は驚くべき事だ。

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(此方は新しい純アラブ風モスク)
 私は更に西に歩みを進めながら、西安イスラーム街の雰囲気を楽しんだ。私は更に歩みを西に進めた。