ブータン旅行記6 プナカ

  ドチュラ峠から再びガクガクの道を下ってプナカに向かった。やがてプナカの谷が見えてきた。でも、え?何処に街があるんだ?此処が嘗ての冬の首都?見渡す限りの美しすぎる棚田の風景が続くばかりだ。

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 いや、実はこれがこれがブータンの姿なのだ。冬の首都だった場所でも然り。ティンプーだけが例外なのだ。中心に数軒の商店があるだけで、他は農家の集落が点在する。それがブータンでは街にあたる。

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 そんな美しい棚田の風景を散策しながらとあるラカン(寺院)に向かった。青空の下、写真を撮りたかったから乾季の今、旅をしたが、田植えのシーズンや収穫前等さぞ美しい光景なんだろうなぁと感じながら長閑な畦道を歩いた。

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 歩みを進めればブータン様式のお土産屋が数軒並んでいる。これもまた風情ある光景だなと目をやって唖然。長閑な風景に似つかわしくない、いかがわしい絵が描かれている。なんだ!あれは!そう、紛れも無いあれだ。

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 事前知識が無ければビックリする絵画だが、これら男根信仰は世界中の至る所に残り、日本でも各地で見受けられる。しかしこうも露骨に表現されると目のやり場に困る。ブータンでは魔除けとして飾られると言う。

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 一方3Dバージョンもある。これは屋根の角に吊るすもので、農家の屋根にぶら下げられていたりして、これまたビックリさせられる。また土産物屋等に一斉に陳列されていたりすると、これまた事前知識が無ければアダルトショップに間違って入ってしまったか?と驚きかねない。何故なら結構実用的サイズ(笑)勿論電池は入っていないし色合いも日本のそれの様にショッキングな色では無い(笑)

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 おっと話は逸れたが長閑な田園風景を眺めながら小高い丘を登った場所に建つチミ・ラカンこそ、ブータンに男根信仰をもたらしたお寺なのだ。15世紀に風狂聖 な僧侶ドゥクパ・クレンは性のタブーを超越した存在で、彼の行いからこの信仰が始まったと言われる。因みにお寺自体はごく普通のこじんまりとしたお寺だが、こうした経緯のお寺だけあって子宝の御利益があると信じられ、海外からも参拝者が来ると言う。

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 プナカではもう一つ忘れてはいけない見所、プナカ・ゾンへ向かった。先にプナカは過去のブータンの冬の首都と書いた。これは高低差による寒暖差が関係している。

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 ティンプーは標高が2320Mであるのに対しプナカは1350M、ドチュラ峠を越しただけで一気に1000Mも標高が下がるのだ。植物の植生も一気に変わる。バナナの木とか亜熱帯の植物があちこちにありビックリさせられる。観光していてもティンプーとパロでは一気に季節が変わってしまったかの様な気にさえなる。

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 こうした事からティンプーが通年の首都と決まる迄冬の首都として利用された。因みにティンプーのタシチョ・ゾンが出来るまでは此方が政治の中心であり、そういう意味でも建築様式としてもプナカ・ゾンは格式が高く、現国王夫妻の婚礼もプナカ・ゾンで行われた。尚現在でも中央僧院は夏冬でティンプーとプナカを往復している。(ティンプーが通年首都となった今、政治的にはプナカ・ゾンはプナカ県庁となる。)

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 ゾンは男川と女川と呼ばれる二つの川の合流地点に建つ。良く見ると二つの川の色は全く違っていて、上流の氷河の堆積物の違いが要因だと言われる。ブータンでは川の合流点は神聖な場所と考えられ、また軍事的にも要所であった事からこの地が選ばれた。

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 ブータンでは歴史上覚えておかねばならない人物が二人いる。一人がブータンに仏教の教えをもたらしたとされるグル・リンポチェ、そしてもう一人が16世紀にブータンを創建したとされる、チベットで例えるならダライ・ラマにあたるシャプドゥンと呼ばれる人物だ。

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 この二人は何処のゾンや寺院に行っても必ずと言える位にお釈迦様の両脇に安置され、彼等の存在知らずしてブータンの歴史や文化を楽しむ事が出来ない人物だ。

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 プナカ・ゾンはそのシャプドゥンが眠る場所でもある。川面に浮かぶ様なゾンの姿は壮麗でもあるが、門構えは荘厳でもあり、素晴らしい建築見学となった。