ブータン旅行記5 ドチュ・ラ(峠)

  峠に到着するやいないや車上の三人はいっせいに飛び出した。

「ヒャッホー!」

 思い思いに伸びをする。視界の先には乾季であっても見れる確率は少ないと聞いていたヒマラヤ山脈がクッキリと見れる。飛行機から眺めたとは言え地上から眺めるのは格別なものだ。標高3110メートル、今回の旅での最高値点だ。

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 その背後には何塔もの仏塔が聳え立っていたが、ブータンでは要所要所何処でも仏塔を見る事が出来るし、此処はヒマラヤ山脈を見学に観光客が大勢訪れる場所だから豪勢に立っているのだろうぐらいに考えてヒマラヤばかりに見とれていた。

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(ドゥク・ワンゲル・チョルテン)

 しかし後に調べてみれば、なんとまたあの男、四代目の国王の偉業に突き当たるのである。この仏塔は4代国王の偉業と国民の平和を願って婦人が建てたものだと言う。そしてその偉業とは…。

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(ドゥク・ワンゲル・ラカン)

 未だそれほど昔とは言えない2003年末、ブータンは再び国家存亡の危機に晒されていた。1990年頃から、ブータンの南にあたるインド・アッサム州の独立を訴えるゲリラが、ブータンの国境を越えブータン領に潜伏、インド政府はブータンに追放を求めた。

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 勿論ブータンもそれに応え散々立ち退きを要求、勧告を続けたが、それで動く彼等ではない。しかし痺れを切らしたインドは、ブータンがゲリラを擁護していると逆に最終勧告をブータンに突きつけてきたのだ。

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 インドはブータンにとって、多くを依存してきた国であり、立地上もこれからも友好関係を保てなければブータンの未来は無い。ブータン政府はゲリラに対する軍事行動を起こすより他に手段は無かった。

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 しかしブータンには空軍も無ければ海軍も無い。陸軍と言えど重武装のものは無ければ、3千人潜伏していると言われるゲリラを叩くのに、通常ならその十倍の兵士が必要とされるそうだが、人口が少ないブータン軍では、とてもそんな人数は揃えられない。

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 そんな時奮い立ったのが四代目国王だった。彼は自ら先陣を切って陣頭に立ち、陸軍と、彼を慕って駆けつけた民間の義勇兵、総勢ゲリラのたった二倍の勢力で作戦を実行。たった二日の電撃作戦で任務を成功させ生還するのである。

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 その作戦の直前に国王は、隊員達の前に高僧を呼び

「あなた方は兵士といえども、慈悲心を持たねばならず、敵も、他の人間と同じように 扱わねばならない。
あなた方は、あるいは夫であり,子供であり、親であり、兄弟であり、友だちである。 ゲリラ兵たちも全員、誰かと何らかの関係にあることに変わりない。
そして何よりも、仏教徒としては、殺生が許されると思ってはならない。」

 と訓示を与えさせたと言われる。そして任務が完了し、留守番を任された政治家等一同が一斉に祝辞を伝えようとするのを抑え、こう訓示したと言う。

「戦闘が終わったからといって、喜ぶ理由は何もない。軍事的規準からして、勝利は速 やかで、戦果は優れたものであった。しかし、戦争行為において誉れとできるものは何一 つない。いつの時代にあっても、国家にとって最善なのは、係争を平和裡に解決すること である。ブータンは,いかなる状況に置いても、軍の戦力を頼ることがあってはならない。 世界の二大大国に挟まれた小国という地理的状況からして、軍事力でもって主権を守ると いうような考えは決して許されない。ブータンにとっての最善にして唯一可能な国防は、 近隣諸国との友好・信頼関係である」

 こうしてこの軍事作戦は大っぴらに国民に知らされる事も無く、何事もなかった様に終わったのである。その意志が伝わったのか、ゲリラ側も報復に出る事は無く、今に至る。しかし婦人としてはせめてもの想いがあったのだろう。

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 峠には仏教では大切な数字の108の仏塔が今日も世界の平和を願って静かに建っている。それにしても…戦いの前に、無駄な殺傷を戒め、自ら戦地に赴き、戦に勝って、それを誉れにしない。痺れる様なストイックな男。四代目国王…暴れん坊将軍の様な男だな…。

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 さて、ヒマラヤの絶景と熱い王様の偉業に感動したら、再び頭をグラグラさせながら一路プナカを目指すとしよう。